「てるてるソング」 小野塚テルの一日一冊一感動『感動の仕入れ!』日記

毎日の読書、映画、グルメ、流し、人との出会いなど様々なものから感動を得ています。特に本は年間300~400冊読破します。人々を『感』させ『動』に導き、『感する人』になるようにそのエッセンスを紹介しています。

「ゴッホのあしあと 日本に憧れ続けた画家の生涯」(原田マハ)

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ワタシの本棚の中で画集が数冊があるがその中の一冊が、ゴッホゴッホといえば「龍角散」!?(笑)

 

生前一枚しか絵が売れず、三七歳で自殺したフィンセント・ファン・ゴッホ映画「炎の人ゴッホの影響もあり不遇をかこった狂気の天才という印象が強く、死後高騰し続ける作品は、今では時に百億円を超える金額で取引され、センセーショナルに語られることが多い。だが真の姿は写実絵画から浮世絵、空想画と新しい描法を研究し独自の様式を追い続けた努力の人。またラテン語とフランス語を巧みに操る語学の才をもち、弟宛の膨大な手紙は「告白文学の傑作」として読み継がれている。新たな「人間・ゴッホ」像に迫る」そのエッセンスを紹介しよう。
 
・1987年、ゴッホの〈ひまわり〉を、安田火災海上保険が、一枚の絵の取引価格としては史上最高の、日本円にして約53億円で落札。同年〈アイリス〉サザビーズで売りに出されて約72億円で落札され、あっという間に記録を塗り替えました。そして1990年には日本の実業家でコレクターが、ゴッホが死の一ヶ月に描いた〈医師ガシェの肖像〉を約125億円で落札し、さらに更新しました。
 
そこで感じたのは「そこまで大枚はたいてまで、自分のものにしたい気持ちって何だろう?」という素朴な疑問でした。その事実はショッキングでもありました。何でそこまでゴッホが好きなの?」と。そこまで熱狂する理由がわからなかったのです。
 
日本とゴッホは相思相愛です。日本に、そしてパリに憧れ続けたゴッホ誰にも受け入れられずに失意のうちに亡くなった。孤独と戦い苦労の絶えない人生だたtかもしれないけれど、結果的に、あなたはこれほどパリにも日本にも受け入れられている。私たちは両思いなんだよ」ということを、ゴッホに伝えたいそして後世の画家たちに影響を与え、彼のDNAが今もって地球のあちこちで受け継がれていることが、最大の贈り物だと思います。
 
彼の生涯は37年。画家を志したのは27歳。それから亡くなるまでの時間はたった10年です。うち、私たちが「ゴッホ」と聞いて頭に思い描く絵は、32歳でパリに出て以降の約4年間に描かれたものでした。
 
・発芽には、起爆剤となるものが必要でした。それは太陽と水ゴッホの場合、太陽なパリで、水は日本美術、つまり浮世絵だったのです。この二つの起爆剤を得て一気に開花したのが、1886年のパリ進出以降のゴッホです。
 
「浮世絵の影響力」「没後、まもなく日本に紹介される」「雑誌『白樺』を通して知り、熱心なファンに」「パリと林忠正」「弟・テオの存在」「小説『たゆたえども沈まず』について」「ゴッホ狂人説を覆したい」など。

 

うーん……いいなあ……狂気に憧れるなあ……。久しぶりに画集をひっくり返してみようかなあ!オススメです。(・∀・)

 

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