「てるてるソング」 小野塚テルの一日一冊一感動『感動の仕入れ!』日記

毎日の読書、映画、グルメ、流し、人との出会いなど様々なものから感動を得ています。特に本は年間300~400冊読破します。人々を『感』させ『動』に導き、『感する人』になるようにそのエッセンスを紹介しています。

「田宮二郎の真相」(石田伸也)

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田宮二郎の真相

田宮二郎の真相

 

子どもの頃、芸能人が亡くなってショックだったベスト3は、林家三平三波伸介、そしてクイズタイムショック田宮二郎だっ!!! 病気ではなく猟銃自殺というのがあまりにショッキングだった……カッコよかったよね〜。こんな大人になりたい!と真剣に憧れていたよ……。

 

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さて、この本。「多くの謎を残したまま猟銃自殺した田宮二郎―。沈黙の幸子夫人が歳月を経て初めて明かす「修羅の真実」。そのエッセンスを紹介しよう。

 

「夫婦でありながら田宮は、いつも私がどこにいるかと居場所を突き止めるようになりました。そしてある日、私は胸ぐらをつかまれ、階段から突き飛ばされそうになった時に、このままでは殺されてしまうと思いました。脱兎のごとく家から逃げ出しましたが、一番、心から大事にしているはずの私にそういうことをする……。それはもう、狂気の沙汰でした」昭和53(1978)年の夏、俳優・田宮二郎は、二枚目のスターらしからぬ精神状態にあった。当時はまだ一般的な用語ではなかった「躁うつ病という名の悪魔が、田宮の心身を蝕む。そして田宮は同年12月28日、生涯の代表作と自負した白い巨塔(フジテレビ)の全31話を撮り終え、二話の放映を残しながら自宅で猟銃自殺する。43歳だった。
 
「田宮の生涯にとって大きな損失となったのは、昭和43年に大映お追われ、五社協定によって映画に出られなくなったこと。そして十年後の昭和53年、遺作となった『白い巨塔の出演を引き受けてしまったことだと思います」(幸子夫人)
 
「愛に薄い人生を送ってきたのだなと思いました。田宮の中には、いつも『孤独』がある。孤独な生活の中で、孤独な姿や顔を隠す習慣を幼少期から身につけてきたー。そのため、実は傷つきやすく、他者の評判を常に気にするという人格形成ができあがっていったんです」
 
・この時期の田宮は「日本のハワード・ヒューズになる」が口ぐせだった。ヒューズは映画製作と飛行機業に莫大な資産を注ぎ込んだ億万長者だったが、晩年は強迫性障害を病み、非業の最期を遂げている。田宮は億万長者にはなれなかったが、ヒューズと同じく精神を病んでいくことになる。
 
「トンガ国の田宮二郎」「田宮二郎という鎧」「ドン永田雅一に詰め寄る」「M資金の行方」など。

 

……こんなことがあったんだね……信じられない……。ナイーブな人ほど自らを傷つけるよね……ワタシも危ないなあ……なぜって!?ナイーブだから!!!(笑)オススメです。(・∀・)

 

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田宮二郎の真相

田宮二郎の真相