「てるてるソング」 小野塚テルの一日一冊一感動『感動の仕入れ!』日記

毎日の読書、映画、グルメ、流し、人との出会いなど様々なものから感動を得ています。特に本は年間300~400冊読破します。人々を『感』させ『動』に導き、『感する人』になるようにそのエッセンスを紹介しています。

「誰も「戦後」を覚えていない」(鴨下信一)

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ドキッとするタイトル。 確かにそうかも。ワタシの父も母もこの頃は、新潟にいたのでこのような戦後の話は聞いたことがなかった!!!

 

食糧難、銭湯、列車の殺人的混雑、間借り、闇市預金封鎖、ラジオ文化など、日本の最も長かった「誰もが忘れかけている」あの五年間を、常識破りの視点からふり返る」そのエッセンスを紹介しよう。
 
「風呂と風呂敷」ーそれを盗みとは言わない
 
いまの若い人にわからないことの一つに、戦前の日本には内湯、家の中には入浴設備を持っている家庭がごく少なかったことがある。特に下町では相当な家の者でも銭湯に行くのが普通だった。もちろんこの当時、住む家もないのだから内湯なんてとんでもない。たまたま焼け残って家に風呂があっても、燃料がない。銭湯も燃やすもの不足で、営業が何日かおきだったり、使うお湯も一人につき小桶何杯と決められていた。開いている少数の風呂屋に、人々は押しかけた。
 
この当時の入浴風景を再現しようと思ったら、まず“芋を洗うような”大人数の入浴客を用意しなければならない。そして〈風呂敷〉を持たせること。なぜ風呂敷か。これが〈忘れていること〉だ。盗難防止のため。銭湯へ行った時の最大の問題は〈盗難〉だった毎分のように盗難が起こっていた。日本人1億が総犯人だったといってもいい。これは盗みではない、これは取替だ、皆がこの意識を持って暮らしていた。
 
・ぼくは戦後日本の、特に終戦直後の日本の基調音となったものの重要な一つは〈不公平〉という感覚だったと思う。この感覚が、戦後の不安感、危機感、あるいはイライラ感や暴力衝動の根本にあった。すべてはそこから生じたのだ。戦死した人間と無事で帰った人間、抑留された人間と帰国出来た人間、戦犯に指定された人間と逃れた人間、闇で儲けた人間と儲けられなかった人間、……何もかもが公平でなかった。飢えている人間とたらふく食べている人間、着るものがなく震えている人間とぬくぬく着ぶくれている人間……そして焼け出された人間と焼け残った人間。〈住宅難〉と総称されるトラブルの基は、この不公平さだった。
 
その他、「敗戦のレシピー代用食を美味しく食べる方法」「殺人電車・列車ー混雑と衝動」「間借りー監視し監視される生活」「間借りー監視し監視される生活」「闇市ーヤクザは隣人」「預金封鎖ーペイ・オフは昔からあった」「シベリヤ抑留ー64万人の拉致」「玉音放送」「美空ひばりへの愛憎ー日本の心とアメリカへの憧れ」「復員野球ー幻影も一緒にプレーしていた」「肉体の門ー性と解放」「何を信じたら良いの?ー漢字制限・新仮名づかい」「ラジオ・デイズーそれは〈ごった煮〉の文化だった」など。

 

いや〜目からウロコだなあ!この事実は語り継がねばならないよね〜。オススメです。(・∀・)

 

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