「てるてるソング」 小野塚テルの一日一冊一感動『感動の仕入れ!』日記

毎日の読書、映画、グルメ、流し、人との出会いなど様々なものから感動を得ています。特に本は年間300~400冊読破します。人々を『感』させ『動』に導き、『感する人』になるようにそのエッセンスを紹介しています。

「日本のヴァイオリン王 鈴木政吉の生涯と幻の名器」(井上さつき)

  

私はギター弾き。(・∀・) ヤマハ、ヤイリなど、日本には世界に誇るギターのメーカーがたくさんある。そしてヴァイオリンについては、実は100年以上前から世界で評価されていたとはビックリした。それが鈴木ヴァイオリン鈴木政吉なのだ。そのエッセンスを紹介しよう。

・1900(明治33)年パリ万国博覧会の楽器部門の受賞者リストに「ヴァイオリン、スズキ・マサキチ、ジャポン」とあるのを見たときの衝撃は忘れられない。鈴木政吉が名古屋で初めてヴァイオリンを手にした1887(明治20)年、東京や横浜では、すでに和楽器職人たちの手によってヴァイオリン製作が始まっていた。政吉は。「見よう見まね」でヴァイオリン第一号を作り上げたが、器用な日本人職人は他にもいた。しかし、本格的なヴァイオリン製造へ移行できたのは、名古屋の鈴木政吉以外にはいなかった。


・では鈴木政吉は他の和楽器職人たちと何が違っていたのか。幕末に生まれた貧乏な三味線職人のどこに、こんな才能がひそんでいたのか。ピアノ製造の場合、アメリカの楽器産業がモデルとなったが。鈴木政吉のヴァイオリン製造にはこうしたモデルは一切存在していなかった。ヴァイオリンを大量生産するための方策を一人で考案し、多くの機械を自分で発明し、特許を取り、工場では動力を早い時期から導入したのだ。


・この本では、幕末に生まれ、明治、大正、昭和を生き抜いたヴァイオリン製作者、鈴木政吉の生きざまを、当時の音楽状況の中に置き直しながら、再評価していきたい。


・のちの政吉は、よく息子たちに言っていた。「自分は一生涯日本の「ぼう」に支えられてきた。貧乏と辛抱の二つだ」ー確かに貧乏と辛抱は政吉の生涯について回った。


特に、「生い立ちとヴァイオリンとの出会い」「山葉寅楠との出会い」はオモシロイ。政吉の幻の名器が表紙を飾っているよ。日本ってスゴイなあ!オススメです。(・∀・)