ワタシの兄の名前は「秀敏」、弟は「敏広」ワタシが「輝(テル)」。
今は、名刺の表記が「テル」とカタカナ表記になったので無くなったけど、初対面のヒトは、「テル」となかなか読んでもらえなかった。「アキラ」ですか?とか「テルの前か、後に何が付くんですか?」「テル、だけだとなんか変だし」(笑)とかよく言われたものだ。(・∀・)
さてこの本。「漢字の音訓や外国語のイメージを無理に組み合わせた“読めない”名前が増えたのはなぜか。変則的な読みの名前で日本語が変化していく可能性や、漢字と人名の歴史を探り、名づけと漢字の用い方を文化の問題として考える」そのエッセンスを紹介しよう。
・いつの世でも人の名は読みにくいものである。しかし、 近年の読みにくさはどうしたことであろう。 新入学の時期になって教師にとって頭の痛いのは、 子どもたちの名前を正確に読んで記憶することである。それが、 名前を記憶する以前、 名前をちゃんと読めるかどうかがこの頃では難しくなってきている のである。結局、名づけをする人の側に、 他人から正しく呼んでもらえるかどうかという意識が欠けていると いうことが考えられる。自分たちがつけた名前が「気の利いた」 表記であるイメージを体現していればそれで十分だということに尽きるの であろう。
・明石六郎(赤白黒)今祐太朗(いま言うたろう)有馬遷( ありません)安藤奈津(あんドーナツ)佐藤俊雄(砂糖と塩) 分銅志成(褌せい)といった、「組合せ」 による悲喜劇を生み出しうることも、命名者の側で意識・ 配慮しておかなければならない点である。
・人はその生涯にいくつの名を持つのであろうか。 本名とあだ名に加えもっと数多くの名が存在し、また、 それを必要としている人もいたのである。
幼名 本名 実名 愛称 ニックネーム あだ名 筆名(ペンネーム)ラジオネーム ハンドルネーム 芸名 職業名 屋号 地名 官職名 通称 呼び名 戒名 院号 諡号(おくり名)諱(いみ名)書斎名 源氏名 字(あざ名)などなど。
・太郎の子は小太郎、次郎の子は小次郎、 三郎の子は小三郎と喚ばれることがあった。 熊谷小次郎直家というのは、 熊谷次郎直実の子を表示する名であったわけである。 小の字の代わりに又、新、弥の字を用いることも行われた。 同じく。太郎の孫は孫太郎、太郎の曾孫は彦太郎と、「孫」「彦」 を附して呼ぶこともあったのである。この呼名を「烏帽子名」 とも「元服名」ともいう。元服して、 はじめて烏帽子を頭にいただくことになるが、 その際に烏帽子親から与えられる名前で、 幼名に代えて用いられるようになるからである。
・はじめは藤太郎、源太郎と郎をつけて呼んでいたが、 後にはその郎を省略して、藤太、源太と呼ぶようになり、 そして某二の二は次あるいは治を当てて、某次、 某治とも書いて済ます行き方が広がり。某三の「三」は、 もともとは「さむ」という撥音であったあ、「さう」 と音変化をした挙げ句「ウ・ムの後濁る」 という連濁の規則に従い、前節の音との兼ね合いで多く「ざう」 に発音された。それが一般化してほとんどの人名で「ざう(ぞう) 」と呼びならわすようになって、造・蔵の字を当て用いて某造・ 某蔵と書くことが普及し、今日まで行われている。
・西郷隆盛も弟の従道(つぐみち)も、 明治になってから間違いで名が変わった。西郷隆盛は「隆永」 であるが通称の「吉之助」 で通用してから名はあまり知られなかった。 明治になって国元で役場に名をとどける時に友人が代行し「 たしか隆盛だった」と「隆盛」で届けた。 それがそのまま隆盛になってしまった。弟の従道も、 ほんとうの名は「隆道」であるが、役人に問われて「リュードー」 と答えたにもかかわらず「ジュードー」と聞き取られ「従道」 と書き留められてしまった。鷹揚な人物のせいで、そのまま「 従道」で通用させてしまった。
「名乗り字」と「名乗り訓」「止め字」の多様化」「 日本語と名前の行方」など。
ワタシの父は「三夫」と書いて「かずお」だった。これは読めないよね。(笑)名前は読みやすいのがイチバンだよね。オススメです。(・∀・)