「てるてるソング」 小野塚テルの一日一冊一感動『感動の仕入れ!』日記

毎日の読書、映画、グルメ、流し、人との出会いなど様々なものから感動を得ています。特に本は年間300~400冊読破します。人々を『感』させ『動』に導き、『感する人』になるようにそのエッセンスを紹介しています。

「キラキラネームの大研究」(伊東ひとみ)

私の名前は、「輝(てる)」である。兄は「秀敏」弟は「敏広」私は「輝」。父は「三夫(かずお)」母は「久美」私は「輝」

私た生まれたとき、父が「とっておきの名前が思いついた。短くて、覚えやすくて、呼びやすい。そして世界に通用する。ウィリアム・テルという人がいたじゃないか、しかも「輝く」と書いて一文字で「輝」。この子は世界に出て行くんだ。」と言った。祖父は私の顔を見て、「この子は大物になる」と言った。その予言通り、カラダだけは大物になった…!?(・o・)

さて、この本。最近ハヤリのキラキラネームについての本の分析。実は、キラキラネームは最近のブームではなく、大昔から合った!?そして日本語の根幹に関わるモンダイだったのだ!?そのエッセンスを紹介しよう。


・男の子に「澄海(すかい)」「在波(あるふぁ)」「今鹿(なうしか)」、女の子に「心愛(ここあ)」「王冠(てぃあら)」「希星(きらら)」など、自分の子供にアニメのキャラクターのような名前をつける「キラキラネーム」の当て字が、最近とんでもなくアクロバティックなのである。


「光宙(ぴかちゅう)」という名前に出合ったとき、真っ先に私が感じたのは、批判めいた気持ちよりなにより、本当に実在するのだろうかという戸惑いと「命名の現場でいったいなにが起こっているの?」という困惑、そして漠然とした違和感…。気がつけば私はキラキラネームをめぐる謎を追いかけていた。


どうしてフツーの親たちがわざわざキラキラネームをつけるのか?これほどまでに急増したのは何故なのか?要するに、キラキラネーム現象というのは、「ヤンキー気質」などというマーケティング用語で云々する位相を通り越した、もっと根深いところで、日本語の体系の根幹に関連する問題なのである。


これらの名前の“キラキラ感”は、「フリガナがないと読めない」ことに加えて「フリガナがあっても読み方に違和感が残る」ということだ。


・最近、角界にもキラキラネームの波が押し寄せているという。そう聞いて把瑠都(ばると)」「阿覧(あらん)」「阿夢露(あむうる)」といった外国人力士がいる。しかし、もっと驚いたのは、歴史をさかのぼって調べるとそれは今に始まったことではなく、明治時代には「文明 開化」「三毛猫 泣太郎」「膃肭臍 市作(おっとせい・いちさく)」「猪シ 鍋吉(いのしし・なべきち)」「豆鉄砲 芳太郎」「貫キ 透(つらぬき・とおる)」といった変わった四股名が存在していた。


・新米ママさんたちの名づけの体験談を集めてみると、なかには、わが子には絶対ほかにはないオンリーワンの個性的な名前をつける、ということを至上命題としているキラキラ親もいる。この場合は「他人に読めなくてもかまわない」どころか「人に読まれたら、負け」。「ウチの子の幼稚園に、同じ漢字で同じ読みの子がいるよ」などいえば、地雷を踏んで大爆笑必至である。


・遊び上手な日本語ゆえに、日本における名乗りの大胆さはなにも今に始まったことではなかった。歴史を眺めてみると、あるわあるわ、読めない漢字のオンパレード。歴史的には難読人名の持ち主が目白押しである。たとえば日本神話に出てくる神様や初期の時代の天皇の名前は、難読度が非常に高い。「藤原明子(ふじわらのあきらけいこ)」「藤原高子(ふじわらのたかいこ)」など。


要するに名づけは、「声に出す言葉の響き」と「漢字という文字」がせめぎ合う、ホットな最前線ということができる。ことにキラキラネームの存在は、日本語の読みと文字にかかわる宿命を図らずも浮き彫りにする結果になっているといえる。


・あらかじめ知っているから当たり前のように読んでいるが太秦(うずまさ)」「指宿(いぶすき)」「鳴門(なると)」だって漢字と読みが大きくズレている。

「無理読みは伝統だった」「言霊がつくったややこしい状況」「読めない名前の近代史」「明治期のエリートはなぜ珍名を好んだのか」「“感字”、侮るべからず」など。


キラキラネームを題材とした日本語論だねオススメです。(・o・)