「てるてるソング」 小野塚テルの一日一冊一感動『感動の仕入れ!』日記

毎日の読書、映画、グルメ、流し、人との出会いなど様々なものから感動を得ています。特に本は年間300~400冊読破します。人々を『感』させ『動』に導き、『感する人』になるようにそのエッセンスを紹介しています。

「坂の上の雲(三)」(司馬遼太郎)

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いま、ちょうどロシアのウクライナ侵攻が行われている中で、この本の日露戦争勃発前後の話を読むと、なるほど!ロシアという国は昔から変わらないんだなあ……と実感する。このタイミングで「坂の上の雲」を読んでいるなんて、このシンクロは、実に不思議だっ!!!(・∀・)
 
日清戦争から十年ーーじりじりと南下する巨大な軍事国家ロシアの脅威に、日本は恐れおののいた。「戦争はありえない。なぜならば私が欲しないから」ロシア皇帝ニコライ二世はいった。しかし、両国の激突はもはや避けえない。病の床で数々の偉業を成し遂げた正岡子規は戦争の足音を聞きつつ燃え尽きるようにして、逝った」この三巻の
エッセンスを紹介しよう。
 
「秋山の天才は、物事を帰納する力だ」と、海軍部内ではいわれたが、あらゆる雑多なものをならべてそこから純粋原理をひきだしてくるというのは、真之の得意芸であった。この得意芸が、やがては日本の運命に交叉する日がくるということを、真之自身はむろん、自負心のつよい男だけに予感していた。秋山軍学といわれた真之の作業のしかたは、ほぼそういうものである。
 

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▲ 秋山真之

・信じがたいほどのことだが、海軍大学校に戦術講座が設けられたのは、明治35年7月のことである。日本海軍はこの時期をもって戦術というものの系統だった研究にはじめて乗り出すのだが、真之はその初代教官にえらばれた。秋山以外に適任とすべき者は求められない」というのが、海軍部内の定評であった。
 
真之の海軍大学校における戦術講義は、不朽といわれるほどの名講義だったらしい。どういう原典もつかわなかった。「あらゆる戦術書を読み、万巻の戦史を読めば、諸原理、諸原則はおのずからひきだされてくる。みなが個々に自分の戦術をうちたてよ。戦術は借りものではいざというときに応用がきかない」ーどうも天才だが、人徳がない。と、一部では、この応対を見ながら、思う者もあった。真之にいわせれば、戦術に愛嬌が要るか。ということであった。
 
世の人は四国猿とぞ笑ふなる 四国の猿の子猿ぞわれは
子規は、自分が田舎者であることをひそかに卑下していたが、その田舎者が日本の俳句と和歌を革新したぞという叫びたくなるような誇りを、この歌にこめている。
 
日清戦争明治28年におわったが、その戦時下の年の総歳出は、9160余万円であった。翌29年は、平和のなかにある。当然民力をやすねばならないのに、この29年度の総歳出は、2億円あまりである倍以上であった。このうち軍事費が占める割合は、戦時下の明治28年が32%であるに比し、翌年は48%へ飛躍した。明治の悲惨さは、ここにある。貧困、つまり国民所得のおどろくべき低さがそれに原因している。
 
西郷従道「私が海軍のことがわかるようになると、ミナサン、おこまりになるのではないかな。私は海軍のことがわからない。ミナサンはわかる。ミナサンがよいときめたことを、私が内閣で通してくる。それでよいではありませんか」海軍をつくりあげた西郷従道という人は、そういうひとだったらしい。伊藤博文が政治的苦境に立つと、しばしばその飄逸な人柄と機知で救ってやった。
 
戦艦三笠を英国のビッカース社に注文したのは明治31年しかし海軍予算は尽きてしまって、前渡金を捻出することができず、山本権兵衛は苦慮した。それは山本サン、買わねばいけません。だから、予算を流用するのです。むろん、違憲です。しかももし議会に追求されて許してくれなんだら、ああたと私とふたり二重橋の前まで出かけて行って腹を切りましょう。二人が死んで主力艦ができればそれで結構です」三笠は、この西郷の決断できた。西郷と権兵衛とは、海軍建設においてはそういう関係だった。
 
・駐日ロシア陸軍武官は、ワンノフスキーという陸軍大佐であった。かれらはロシア陸軍省に対し、日本陸軍は、乳児軍である。日本陸軍が、ヨーロッパにおける最弱の軍隊の水準にまでたどりつけるだけの道徳的基礎を得るまでに、あと百年はかかるであろう」
 
・ロシアの巡洋艦アスコリドの艦長グラムマチコフ大佐なるほど日本海軍は、軍艦を外国から購入することによって、物質的装備だけはととのえた。しかし海軍軍人としての精神はとてもわれわれにおよばない。さらに、軍艦の双方、運用にいたっては幼稚である」といった。ところが、おなじ時期、英国海軍の士官が観察したところでは、日本人の軍艦操法や、運用のうまさは世界でかろうじて英国海軍のみが比肩しうる、とおよそ逆なことを評し、結局はそれがのちにバルチック艦隊を全滅させることによって実証された。
 
・ロシア人は、民族としてはお人よしだが、それが国家を運命するとなると、ふつう考えられないようなうそきになるというのは、ヨーロッパの国際政界での常識であった。
 
児玉源太郎」「島村速雄」「旅順口外の海戦」「ロシヤにおける広瀬武夫」など。
あの時代の息吹が伝わってくるなあ……いいなあ。次の四巻目が楽しみだなあ!オススメです。(・∀・)

 

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