一日一冊一感動!小野塚テルの『感動の仕入れ!』日記

タイトルは、『一日一冊一感動!小野塚テルの感動の仕入れ!』日記。 毎日の読書、映画、グルメ、人との出会いなど様々なものから感動を得ています。特に本は年間300~400冊読破します。人々を『感』させ『動』に導き、『感する人』になるようにそのエッセンスを紹介しています。(ときどき「酒場のギター弾き」「B級グルメ」も紹介します)

「モスバーガーを創った男の物語 羅針盤の針は夢に向け」(木下繁喜)

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モスバーガーを創った男の物語 「羅針盤の針は夢に向け」

モスバーガーを創った男の物語 「羅針盤の針は夢に向け」

  • 作者:木下 繁喜
  • 発売日: 2011/03/12
  • メディア: ハードカバー
 

昭和50年代、地元小田原に初めてハンバーガー屋ができた。ロッテリアマクドナルド、サンテオレなどなど。。初めて食べたハンバーガー。美味しい!というよりも物珍しさの方が勝っていた。そして高校の近くの鴨宮にモスバーガーが誕生した。変な名前、知名度もない。でもクラスの女子はモスが大好きだったのだ。そして初めて食べたのがココ。いや〜〜!感動した!ハンバーガーってこんなに美味いものだったのかー!とモスの大ファンになったのだ。

 

そして大学のとき、神保町の古本屋で見つけたのがモスバーガー創業者の櫻田慧さんの「若かったらこんな商売をやってみないか」。これに惚れた!ここで働いてみたい!と思い、就活でモスバーガーを受けたが、面接の前日飲みすぎて二日酔いでキャンセル!という苦い想い出が。(笑)

 

さて、純国産資本の大手ハンバーガーチェーンモスバーガーを展開する株式会社モスフードサービスを創った男、櫻田慧(さくらだ・さとし)。全力疾走した60年の生涯は挫折と苦難と失敗に満ち、何度も崖っぷちに立たされながら、母が遺した歌を胸に秘めて不撓不屈の精神で次々襲いかかる試練に挑んでいく。「人間・櫻田慧」が波瀾の人生を通じて私たちに伝えたことは何か……。羅針盤が示すその先に、次代を解き明かすヒントが込められている」そのエッセンスを紹介しよう。
 
 
・父・金平と母・タカは当時の日本人の多くがそうだったように、神仏と先祖を心から尊敬していた金平は毎朝神棚の水を換えて礼拝し、仏壇にはお茶とご飯を供えて灯明をあげた。櫻田家が帰依する曹洞宗には家々で朝のお勤めに唱える在家勤行聖典がある。その経文にある智慧の一字をもらい受け「慧(さとし)」と名付けられた。
 
タカは多感な少年時代の櫻田に暮らしの随所で人としての生き方を諭している。「人は倒すんじゃなくて、追い抜くんだよ」「『実るほど頭を垂れる稲穂かな』だよ」「ひがまず、堂々と胸を張って世の中を渡れるような人生を送るんだよ」「『人にしてあげた』と思うな。『してやった』などと言うんじゃないよ。当たり前のことを当たり前にできたことが幸せなんだ。そういう巡り合わせに出会えたこと、させていただけたことがありがたいことなんだから」
 
アメリカが大好きな櫻田も、アメリカではよく日本食を食べた。しかし、料亭に生まれ育った櫻田の繊細な味覚からすると、どれもこれもが「まずい」の一言に尽きた。味にうるさい櫻田がロサンゼルス郊外で見つけたお気に入りの店がある。『トミーズ』だ。わずか三坪ほどの小さなスタンドで、お客の飲食スペースはなく、ハンバーガーを作って売るだけ。店自体、きれいはといえない、でもいつ行っても行列ができていた。なにしろ、うまくて、安い。それに頼むとアッという間に出てきた。「『味・価格・速さ』の三つの条件が揃っているから、こんなに流行るんだな。それにしても、ここのハンバーガーはうまいなあ。ハンバーガーはやがて日本にも来るだろうなあ
 
ハンバーガーはファストフード。客の注文に素早く対応するため、作り置きしている店が大半だ。しかし、トミーズは違った注文を受けてから客の前で一つ一つ調理し、作りたてを出す。作り置きしたぱさぱさのハンバーガーとはひと味もふた味も違った。タマネギを抜いてほしいと言えば。抜いてくれた。マスタードはいらないと言えば、入れない。作り置きではないので、その場で客の好みに応じて作ることができた。新鮮な原材料を使い、お客の目の前で魔術師か手品師のような速さで調理するその手際を見ているだけで楽しかった。加えて、よその店よりボリューム感があった。そのボリュームとおいしさに比べると値段はまさに「お値打ち品」と言えるほど安かった。それこそが櫻田が目指すハンバーガーだった
 
・倒されし 竹は再び 起くるとも 倒せし雪は 跡かたもなし
 
・渡邉和男(㈱エヌアールケー代表取締役社長)「あの人は夢想家でした。本当かどうか分かりませんが、年中、百万ドルをくれるおばさんが夢の中に出て来たと言うんです。常に夢を見、夢を追いかけ、夢を実現しようとしたそういう面では起業家だったんですね」苦しい時、暇さえあれば櫻田は夢を語ったという。
 
・昭和46年3月、資金などないはずの櫻田たちが突然、株式会社モス」(資本金百万円)を立ち上げた。株式会社モスフードサービスの母体となった会社だ。創業資金を提供したのは皮革問屋社長の義弟で、専務の今村達夫だった。マーチャンダイジング・オーガナイズ・システム」新商品開発会社だ。これなら何の業種にも合う。それぞれの英語の頭文字をとってMOSどうだ!」
 
「種をまいてすぐにほじっちゃ、なんにもならないよ。どうして肥料をやり、水をまき、芽が出てくるのを待とうとしないんだ。下手に動かず、もっと肥料や水を与えることを考えるべきだ」友はそう言い残し、帰って行った。
 
・櫻田は時間があれば同郷の後輩、田村に夢やロマンを熱く語った。ハンバーガーを通じてお客様に元気や幸せをお届けするんだ」「おいしいものを提供し、誠実に対応してお客様に喜んでもらう。ハンバーガーを売るだけじゃなくて、心を売るんだ」「モスバーガーが300店、500店と増える時が必ず来る」夢やロマンだけではなく、真摯な櫻田の人間性にも田村はひかれていった。
 
「注文を伺ってから一つ一つ、心を込めて丁寧にお作りしなさい。心を込めないとおいしいものはできません。お待たせしてもいいから、最高の商品をお出しするんです」「お客様のお名前とお顔を覚え、笑顔でお名前をお呼びし、商品をお渡ししなさい」櫻田流おもてなしの心の真骨頂だ。
 
・モスの経営哲学とは何か。「お店はお客様のためにある」「感謝される仕事をしよう」そして、この2つの理念を共有する仲間とだけ一緒に仕事をするということ。そして第三の心が、不退転の決意でる。「始めた以上は絶対に成功する』『成功するまえ絶対にやめない、逃げない』という決意が大切です。世の中は予想外のことだらけです。こんなはずではなかったということに何度も出くわします。その時に諦めるか『なにくそ、ここで負けてたまるか!』と頑張れるか。そこで成否が分かれます」
 

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「世の中にないものを作って、みんなをアッと言わせる」それが櫻田の開発ポリシーだ。ライスバーガーはまさに、櫻田の面目躍如と言える「作品」だった。
 
四柱推命の大家。「あなたは芸術家ですね。画家ならキャンパスに自分の思い通りに絵を描き、書家なら自分の流儀で書く芸術家です。もしもあなたが経営者なら、稀に見る経営者ですあなたの心はものすごく純粋です。経営者は純粋だけではやっていけませんよ」そう言われ、櫻田は答えた。「先生、それは違います。経営も、芸術も同じことです。経営は素晴らしい人間集団を創る芸術だと私は思っています」。その櫻田が創り上げた人間集団、それがモスフードサービスモスバーガーチェーンだ。モスはユートピア(理想郷)だった」モスを去って初めて。渡邉和男はそのことに気づいたという。渡邉が足を踏み入れた普通の世界」はモスのルールと正反対だった。約束は守らない、嘘はつく、人はだます。それがまかり通っていた。渡邉に言わせると。モスの加盟店もまた善意の集団だった。
 
櫻田は人の善意を信じ、人間そのものを信じた。自らの理想主義を貫き、利潤追求を至上命令とする経済界を生き抜いた。そして『傑作』と言える商品と人間集団を創り上げた。「正しく商売し、強い経営体を築き、人間として、企業として美しくありたい」それこそ、櫻田が追い求めた理想主義の極地である。
 
「高級料亭・喜福の十番目の末っ子」「我、敗れたり」は特に読ませる。人生に「もしも」はないけど「モスも」モスバーガーに入社していたら、まったく違う人生だっただろうねえ。櫻田イズム、響きます。オススメです。(・∀・)♪

 

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モスバーガーを創った男の物語 「羅針盤の針は夢に向け」

モスバーガーを創った男の物語 「羅針盤の針は夢に向け」

  • 作者:木下 繁喜
  • 発売日: 2011/03/12
  • メディア: ハードカバー