「てるてるソング」 小野塚テルの一日一冊一感動『感動の仕入れ!』日記

毎日の読書、映画、グルメ、流し、人との出会いなど様々なものから感動を得ています。特に本は年間300~400冊読破します。人々を『感』させ『動』に導き、『感する人』になるようにそのエッセンスを紹介しています。

「僕の「日本の笑い」再発見 狂言でござる」(南原清隆)

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小さい頃からお笑いが大好き。笑いに関する本やジョークやネタをいつもインプットしてアウトプットして研究している。(笑)初代林家三平師匠の「笑わせる腕になるまでなく修行」という名言のように。(笑)(・∀・)

 

僕らお笑い芸人は、いつも新しいネタやギャグを考えることに汲々としていますところが狂言は、同じネタを何百年も続けてきました。しかもいつも同じところで笑いが取れる」というのは驚くべきことです。そこには、どんな秘密があるんだろう。どうして、そんなに長く続いてきたんだろう。そこには「日本人と笑い」の関係を知るためのヒントがあるに違いありません。また、自分のやってきたコントと狂言の共通点も発見し、実は大昔から日本人の「笑い」は変わっていないんだと思うようになりました。お陰で、この国でお笑いを仕事にしていることに、自信や誇りを持てるようになりました。
 
自分の「好きなこと」や「やりたいこと」と「結果が出るもの」「他人から評価されるもの」は、必ずしもイコールではないつまり、自分に何が向いているのかを決めるのは自分ではなく、実は他人だったりもするということです。もちろん自分の「やりたいこと」を追求する姿勢は大事ですが、それが見つからなくて道に迷ったときには他人の目から見た自分」の適正について考えてみるのもいいのではないでしょうか。意外に自分自身のことはよく見えないもの。他人が「新しい自分」を発見してくれることも、実は多いのだと思います。
 
日本のお笑いは、基本的に、どれもボケとツッコミで成り立っている。これは日本独特のスタイルだと思います。でもよく考えてみると、不思議だと思いませんか?だって「ボケ」というのは変なことを言っているのですから、その時点でもう面白いはずです。ところが、ボケだけでは笑いが起こらない。「そんなアホな!」とツッコミが入ったところで、ようやく笑いが起こる。アメリカの「スタンダップコメディが日本人にまったくウケないのも「ボケ」だけで「ツッコミ」がないからでしょう。
 
狂言では「下に向かって地面を潜らせるように出しなさい」と教わりました。それに対して、西洋のオペラや演劇では「上」に向かって発生するのが基本だといいます。これは建物の造り方から生じる違いだとのこと。西洋は「石の文化」天井の高い建物を造れるので、声も上に向かって出すようになったのです。地震の多い日本は「木と紙の文化」能楽堂も、やはり屋根が低くなっています。そのため、発声だけでなく、体の動きも「下」への意識が強くなりましたそれこそ相撲の四股やパワーレンジャーの戦闘スタイルもウルトラマンの飛び方も日本と西洋では違います。日本ではいったん膝を曲げて腰を落としてから「シュワッチ!」と飛ぶ真似をするでしょう。外国ではいきなりビューっと飛び立つ。ひたすら「上へ上へ」という意識があるからです。
 
お寿司もお箸も二本でワンセット。神社の狛犬金剛力士像も「阿」と「吽」の二つでワンセット。この国には、どういうわけか二つ揃わないと成り立たないものがたくさんある。「対の文化」というものがあるのです。落語の「熊さん」「八っつあん」がボケとツッコミのルーツなのではないでしょうか。日本の「お笑い」は、600年前から「コンビ芸」だったのだと思います。
 
「笑いの基本は緊張と緩和」は、なるほど!だな〜!この時期で「笑い」で免疫力を高めよう!オススメです。(・∀・)♪
 

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