遅ればせながらハマっている向田邦子さんの本。今年は全作品読破を目指しています。古いんだけど、それでいて色褪せない文章。思わず引き込まれてしまう。
「気に入った手袋が見つからなくて、風邪をひくまでやせ我慢を通した22歳の冬以来、“いまだに何かを探している”……(「手袋をさがす」)。凛として自己主張を貫いてきた半生を率直に語り、人々のありふれた人生を優しい眼差しで掬いあげる名エッセイの数々。突然の死の後も読者を魅了してやまない著者最後のエッセイ集」そのエッセンスを紹介しよう。
・「かあさんが夜なべをして手袋編んでくれた」という歌がある。 この歌を長いこと野球の歌だと思っていたかたがおいでになった。 「せっせとあんだだよ」というところを、「節制と安打だよ」 少年時代にこう歌っていたというのである。
・テレビのドラマを下記、 片手間に随筆を書いていた50過ぎの女が、 これまた片手間で書きはじめた短篇小説で思いがけない賞をいただ いたことは、幸運であり幸福であろう。 この題をつけたときには思ってもみなかった成り行きである。 直木賞という台風は、 マンションでぼんやりと暮らしていた日常をなぎ倒して過ぎていっ た。賞の重さといただいた嬉しさが身に沁みて判るのは、 嵐のあと始末が終わった頃のような気がしている。
・好きな本は二冊買う。時には三冊四冊と買う。 面白いと人にすすめ、強引に貸して「読みなさい」 とすすめる癖があるからだ。貸した本はまず返ってこない。 あとで気がつくと、一番好きな本が手許にないということになる。 私は読んでいる途中、あるいは読み終わってから、 ぼんやりするのが好きだ。 砂地に水がしみ通るように体のなかになにかがひろがってゆくよう で「幸福」とはこれをいうのかと思うことがある。
・夕食にビールがないと刑務所に入ったみたいで( 入ったことはないのだが)気落ちして、書くものも弾まなくなる。
・「箸置も置かずに、せかせか食事をするのが嫌になったのよ」 彼女の言葉が、胸に突き刺さる。一人暮らしだが、 晩ご飯だけは箸置を使っている。だが、 夕刊をひろげながら口を動かしたりで、 物の匂いや色をゆっくり味わうことはめったにない。 これでは何にもならない。ときどき箸を休めながら食事をする。 それが人間の暮らしだと言われたのである。
・これはもう河でない。海だ。 アマゾン皮の岸辺に立ってそう思った。天に到る水である。 向こう岸はかすんで見えない。 アマゾン河は濃いおみおつけ色である。仙台味噌の色でる。 そこへ、八丁味噌のリオ・ネグロとよばれる黒い川が流れ込む。
・私は決めたのです。反省するのをやめにしようーと。 中途半端な気休めの反省なんかしないぞ、 と居直ることにしようと思ったのです。私は「清貧」 という言葉が嫌いです。それと「謙遜」 という言葉も好きになれません。清貧はやせがまん、謙遜は、 おごりと偽善に見えてならないのです。