「てるてるソング」 小野塚テルの一日一冊一感動『感動の仕入れ!』日記

毎日の読書、映画、グルメ、流し、人との出会いなど様々なものから感動を得ています。特に本は年間300~400冊読破します。人々を『感』させ『動』に導き、『感する人』になるようにそのエッセンスを紹介しています。

「向田邦子 最後の炎」(小林竜雄)

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全作品、全関連作品読破を目指している向田邦子さん。またまた読みましたよ〜!♪
この本は以外や以外っ!いままで読んだ本とスーッと筋が通ったような気がする。なるほどっ!
 
「脚本家、エッセイスト、そして小説家、向田邦子。乳ガンとの孤独な闘い、不慮の航空機事故と、その早すぎた晩年を惜しむ声は今なお高まるばかりである。本書は、脚本家である著者が、彼女の身近な人々に丹念に取材を重ね、その隠された晩年の日々に肉薄したノンフィクションである。彼女の真実の物語とは」そのエッセンスを紹介しよう。
 
十五年という時の流れは人の記憶を曖昧にしてしまうこともあるが、いいこともある。今だから話せることも出てくるから私は取材先でそういう人に何人も会ってきた。彼らは話したがっているように感じられた。自分から語ってくれることが多かった。それはこれまで語られてきたことや書かれてきたことでは、まだ「私の向田邦子」ではないとでもいうかのようだった。これからもそういう出会いがあるかもしれない。私は新たに邦子の後半生を検証し直してみることにした。そして、それは、いつしか邦子が書かなかったもう一つの向田邦子の物語」となっていった……。
 
・入院に際して邦子が持っていった数冊の本がある。もし命が長くないと知ったら、ゆきたいところは、シルクロードだなと思い、シルクロード関係の本を三、四冊持って入院した。(「私と絹の道」『女の人差し指』)それはシルクロード(林良一)『西域の古都望見』(森豊)などであったと考えられる。
 
このときはじめて、私はどうして絹が出来るのか知ったのである。蚕は光る白い糸吐き、小さなひとりだけの城をつくり、我が身を滅して絹を残すのだ。(「私と絹の道」)
 
絹という「別世界」の美しいものができるには蚕の「わが身を滅する」という自己犠牲が必要であった。邦子が惹かれたのはそこだろう。自分の肉体は滅んでも地上に《美》を残していく、そのような蚕の一生を思えば死の恐怖の怯える邦子には安らぐものがあったのではないか
 
・「人生とは、というとオーバーになりますけど、毎日毎日、一瞬一瞬過ぎていくというのはなんだか私にはたくさんのトランプを切って並べて、もし相手がいればトランプのゲームをしているような気持ちがあるんです」(新潮カセット『花の名前・かわうそ「自作を語る」
 
「骨董品にはニセものがあるけど、木だけは樹齢百年っていったら、百年の歴史があるでしょ。木は凄いのよ」
 
木を書かなかったのではなく、書けなかったのだ。常識程度のことは知っていても、葉のそよぎや匂いや季節の移り変りがからだのなかにない。育ってゆくものを朝晩眺める視線が私の暮しにはなかった。私のなかに木は生えていなかったのである。木だけではない。山川草木」すべてがないのである。「転(うたた)荒涼」は、私の気持ちのことかも知れない。(「楠」
 
「苦しんで死ぬのは嫌なの。飛行機事故、それも空中爆発で一瞬のうちに死んでしまいたい」
 
「向田(むこうだ)ではなく向田(こうだ)」野呂邦暢くにのぶ)の『諫早菖蒲日記』『落城記』」「隠された孤独なたたかい」「〈故郷もどき〉への旅」「〈父〉のルーツへの旅」「〈小説〉への熱き想い」「本当の〈故郷〉を求めて」など。
 
なーるほど。いままで誰も書かなかったことなのかもしれない。向田邦子ファン、必読だね。オススメです。(・∀・)

 

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