「てるてるソング」 小野塚テルの一日一冊一感動『感動の仕入れ!』日記

毎日の読書、映画、グルメ、流し、人との出会いなど様々なものから感動を得ています。特に本は年間300~400冊読破します。人々を『感』させ『動』に導き、『感する人』になるようにそのエッセンスを紹介しています。

「聖・長嶋茂雄語録」(エディットハウス編著)

f:id:lp6ac4:20191024061231j:plain

聖・長嶋茂雄語録

聖・長嶋茂雄語録

 

 とうとう、日本シリーズが終わったね……19年振りの巨人VSホークスの対決。あのON対決以来だね。今回はソフトバンクの王さんの執念の勝利だったような気がする…(・∀・)♪

 

さて、またまた長嶋さん本。「つねにプロ野球界の話題の中心でありつづけた長嶋茂雄の現役時代から現在までの発言をまとめた集大成。打撃・守備・走塁、練習、引退、監督、復活…私生活までを含めた長嶋の発言を紹介していくことにより、いかにして“球界の革命児”となったのか軌跡を追う。これを読めば、初の日本一を手にした“ミスター・ジャイアンツ”のすべてがわかる」そのエッセンスを紹介しよう。

 
長嶋茂雄の魅力は、百万言を費やしても語れるものではない神々しいばかりの光を放っていた現役時代を知る人には言葉は必要ないだろう。長嶋の本当の魅力を知ってもらうには、他人が語る言葉より長嶋自身の言葉に過ぎるものはないそこから、自分なりの魅力を見つけてくれればいいし、また、そうあってくれることを願っている。
 
おっ、こっちの子供は英語がうまいな。おっ。外車が多いな。昭和36年2月。初めてアメリカ・ベロビーチの海外キャンプへ行ったとき、空港に降り立って)
 
ファンに感謝する真心があれば、体力の限界まで力を出すことができるはずだ。(昭和46年12月25日)
 
・キミらはストライクならなんでも打とうとする。だから、だめなんだ。ストライク・ゾーンの中で、さらにここにきたら絶対に打つという自分のストライク・ゾーンをつくるんだ。ストライクを全部打てといわれたら、俺だって三割なんて打てやしないよ。なんでも食いついく打ち方をダボハゼ式バッティングというんだ。(昭和47年2月20日 宮崎キャンプの長嶋教室で)
 
バットも美人じゃないと困るね。木目がきれいで、持ったときの感じが手に吸いつくようなものがいい。最初ににぎったときのフィーリングが大切なんだよ。(昭和49年9月2日)
 
・野球で生活していくうえにおいてハッピーという言葉はない。毎日が苦悩の世界です。(昭和49年10月21日)
 
エラーはいくらやってもいい。声を出せ、元気を出せ!昭和54年8月28日 5打数ノーヒットで二度のバント失敗、そして2つの悪送球をした中畑に)
 
・ユニフォームを脱いで野球を忘れられるかというと、これは逆なんですね。忘れるどこおろか、かえって野球に対するいろんな気持ちが出てくる。「あのとき、ああすればよかった。いや、こうすればよかった」と。かえって気持ちの上では野球に追いまくられる感じなんです(昭和56年1月)
 
・現役時代「燃える男」という称号をいただきましたが、燃えるのは集中力が燃えるんです。集中力がバーっと燃えた場合は、逆に冷静になっちゃうんですカッカしていたら勝負には勝てません。カーっとなった状態を通り越すと、今度は冷静さがパーっと出てくる。そしたらパチっと決まる。腰が据わるんですね。これが本当の「燃える」というやつです。(昭和56年1月)
 
私は観客のために野球をする。客を熱狂させる野球をしたい。プロは勝たねばならぬというが。必ずしもそうはあるまい。勝つことに徹して客をシラケさせるくらいなら、客を喜ばせて負けたほうがいいと思う。(昭和56年4月)
 
・なぜ、この山ごもりをやったかというと、一年の体の疲れを、まず癒す。と同時に、肉体の数倍も疲労している精神の疲れを徹底的にとる。これですね。専属トレーナーをつけてね、年間契約の。とにかく心身の手入れには、お金がいくらかかってもいいから完璧にやりましたよ。車の運転も神経を遣うというので、運転手を雇いました。野球だけに集中するにはどうすればいいか、そればかりに心を砕きましたよ。(昭和61年7月28日)
 
・ぼくは大学の二年、三年頃からずっと、プロ野球に入ってどういう選手になろうかということを考えつづけていたんです。プロ入りとともにすぐい思いっきり暴れまくったのは、そういう下地があったわけです。立教の学食でね、パンかじりながら、バレーボールや自転車競技のオリンピック級の選手と話をしてね、「お前、プロになるそうだけど、なにをやるんだ」って言うから、「まかしとけ、オレがプロ野球を変えてやる」って言った、そういう選手になるんだって……。言った以上、やらなきゃならん。まず、打つ、守る、走る、三拍子も四拍子もそろった選手になるよう力をつけなければならん。それが真のプロ野球選手の基礎ですから。それから次は、自分のアクションをつけていった。授業にはあまり出なかったけど、学食で大勢の人にそういうことばかりブッた手前、必死でしたよ。(昭和63年5月9日)
 
ポエムの心がなければ、やはり勝負師たるひとつのね、条件的は、いろいろな条件があるわけでしょう?なかに、やっぱりポエムがないとね、本当の勝負師とはいえないんじゃないかと思いますねやっぱり詩を理解してね、そしてそういう詩が、言い換えればロマンがなくして、あの厳しい戦いには入っていけないと思いますよ。(昭和63年12月)
 
・ボクは『花と緑の農芸財団』にいたからね。花はわかっているつもりですよ。きれいなカトレアだねぇ。(誕生日に報道陣から花束が贈られたが、花はカトレアではなく胡蝶蘭だった。平成5年2月20日
 
・去年のうちのチームは見下されてペキンダックでした。(要するに、手足を縛られてバタバタしていたということ。平成6年6月11日

 

野球がないと淋しいなあ……オフシーズンは淋しいなあ……半年間の辛抱だ……。そういうときは長嶋さん本だね。オススメです!(・∀・)

 

f:id:lp6ac4:20191024061231j:plain

聖・長嶋茂雄語録

聖・長嶋茂雄語録