「てるてるソング」 小野塚テルの一日一冊一感動『感動の仕入れ!』日記

毎日の読書、映画、グルメ、流し、人との出会いなど様々なものから感動を得ています。特に本は年間300~400冊読破します。人々を『感』させ『動』に導き、『感する人』になるようにそのエッセンスを紹介しています。

「落語と私」(桂米朝)

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落語と私 (文春文庫)

落語と私 (文春文庫)

 

 昔から、お笑いや落語が大好き。中学の頃の部活とクラブ活動があったけど、野球部と落語クラブだった。(笑)時々、鈴本演芸場浅草演芸ホール、新宿末広亭に行くけど、ナマの落語はやっぱりサイコーだよね。「落語から学ぶプレゼンスキル」というセミナーを作ったくらいだからね。(・∀・)

 

さてこの本。人間国宝桂米朝師匠が中学生向けに書いた落語の本。

「落語の歴史、寄席の歴史、東京と上方のちがい、講談、漫談とのちがい、落語は文学か、女の落語家は何故いないか等々、当代一流の落語家にして文化人が、落語に関するすべてをやさしく、しかも奥行き深い蘊蓄をかたむけて語る初心者も落語通も納得してヒザをたたき、落語を聞く愉しみが倍増」そのエッセンスを紹介しよう。


「立体感のつくり方」


人さし指を出して、物をさし示す場合でも、ちょっと要領があります。お能の方に、謡におくれて、動作をおこす……という教えがあるそうで、たとえば「月」という謡をきいてから月をさし「花」ということばが発せられてから花を見る。落語の場合もそれといっしょで「火鉢」と言ってから指を出せば、お客には、その示された場所に火鉢が見えるわけです。「その財布……」というセリフが、お客の耳にとどいた時に、すっと前を指さして、そこへ視線をそそぐ。そうすれそこに財布が見えるわけで、視線のきめ方は重要で、遠近は目一つできまります


落語という芸は二百数十年の間、男がやるものであったので、あらゆる技巧が全部、男のための技法であり、男がやる場合の研究としてのみなされてきたのです。男が女を表現してもさほど違和感をもたないのに、女の落語家が、男を演じたらおそらくお客はなかなか話の中に溶け込んでくれないでしょう。


サゲ……というものは一種のぶちこわし作業なのです。さまざあのテクニックをつかって本当らしくしゃべり、サゲでどんでん返しをくらわせて「これは嘘ですよ、おどけ話ですよ」という形をとるのが落語なのです。落語は、物語の世界に遊ばせ、笑わせたりハラハラさせたりしていたお客を、サゲによって一瞬に現実にひきもどす。そしてだました方が快哉(かいさい)を叫べば、だまされた方も「してやられたな、あっはっは」……と笑っておしまいになる、いわば知的なお遊びです。


・ひとつ外国種の小噺を紹介しましょう。

大横断の長距離列車、あつい夏の日盛りです。着飾った貴婦人がしきりに氷水をほしがるんで、その夫である紳士が車掌に頼むが「ありません」という返事。そこで、金がかかってもよいから……と押して頼むとしばらくしてカップに大きな氷のかたまりをもってきて1ドルですと言う。貴婦人はすぐそれをたいらげてもっとほしいと言う。紳士はまた車掌に頼むと、しぶしぶまえより小さい氷をもってきて、こんどは2ドル請求する。貴婦人はもっともらってくれというので、さらに頼むと、車掌はしぶりながらもまた前より小さい氷を持参して3ドルの金を受け取りながら「もういくらおっしゃってもだめですよ。これ以上氷をとったら死骸が腐りますからね」


ネタ、というのはタネ(種)をひっくりかえした言葉で、演題または落語そのものを指します。おすし屋でもつかいますね。新聞記者なんかも「君、そのネタはどこから手にいれたんだ」などと言ったりします。これらは材料とか、情報とかいう意味です。20分の話を15分でんじて、物足りなさや、不自然さを感じさせなく、また、20分の話を25分に延ばして、ダレ場もなくキチンと商品に仕上げる、こうなれあ立派な真打ちと言えましょう。


その他、「話芸としての落語」「作品としての落語」「寄席の流れ」「落語史上の人びと」など。

 

〜また落語聞きたくなりました〜!オススメです。(・∀・)

 

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落語と私 (文春文庫)

落語と私 (文春文庫)