「てるてるソング」 小野塚テルの一日一冊一感動『感動の仕入れ!』日記

毎日の読書、映画、グルメ、流し、人との出会いなど様々なものから感動を得ています。特に本は年間300~400冊読破します。人々を『感』させ『動』に導き、『感する人』になるようにそのエッセンスを紹介しています。

「ショージ君の青春記」(東海林さだお)

 


ショージ君の青春記 (文春文庫 177-5)


子どもの頃、なりたかったものは、マンガ家、プロ野球の選手、歌手だ。小学校でマンガ家をあきらめ、中学校でプロ野球の選手をあきらめ、そして今「歌手」ではなく「酒場のギター弾き」としていろいろなところで歌っている。夢は紅白歌合戦」に出場して白組の勝利に貢献すること


さて、ワタシの大好きなショージくんこと、東海林さだお氏も、プロ野球選手をあきらめ、マンガ家になった。似てるなあ!(笑)


「青春を語るには恋を語らねばならぬ。辛いことだが語らねばならぬ。漫画家を志望しつつ女にモテたいために早大露文科へ。挫折の連続の漫研生活中退しての売込み暮し。人気漫画家誕生までの放浪記」そのエッセンスを紹介しよう。


【ああ疎開


子どもなら、だれでも一度はプロ野球選手を志望した時代であった。母親は、早速ぼくの持っていた「野球少年」を読んだらしかった。それにはスタルヒン投手の伝記が載っていた。母親は言った。スタルヒン投手はね。毎日川原に行って石ころを200個ずつ投げたそうだよ。おまえもプロ野球選手になるなら、川原に行って毎日200個投げなさい」と(それはきついなァ)僕は思った。まずいことに、わが家のすぐ近くに大きな川原があった。石なら何万個もあるという川原である。夕方ぼくは川原に出かけて一個一個石を投げ続けた。


30個ばかり投げたところでぼくはヘトヘトになった。完全にバテてしまったのである。スタルヒン投手も、せめて、30個にしておいてくれればよかったのに)やはり諦めるより他はない。(ここのところだな。将来スター選手になる人と、なれない人の差は)


翌日ぼくは、母親に、プロ野球選手は諦めた旨を伝えた。プロ野球選手を諦めたぼくは、次に漫画家になろうと思った。ぼくはまた母親に、漫画家になることにした、と告げた。幸いにして、漫画家の伝記は雑誌に載っていなかったので、母親は、今度はぼくになにも課さなかった。そのしか、ぼくはそのままずっと(漫画家になろう)と思い続けることができたのである。


【逆上の露文入学】


・ぼくは「女の子とつき合うときのモテ具合」を第一の基準にして考えてしまったのである。大学へ入りさえすれば、ただちにバラ色の青春が展開するのだ、と思い込んでいた。そこのことだけを思って浪人生活を耐え抜いたといってもよい。ただちに恋人ができ、ハイキングでランランということになり、スキーでランランということになり、ダンスパーティでランランということにあんり、とにかく、来る日も来る日もランランと口ずさまずにはいられないとい日々が到来するのだと堅く信じていた。だが、実際はランランの毎日ではなかった


その他、「初恋物語」「青春謳歌?」「壮大漫研の仲間たち」「早稲田祭・コンパ・赤線」「漫画家開業始末記」「白昼堂々の家出」「漫画行商人」など。


ワタシもいつか、こんな青春記を書き残したいなあ。オススメです。(・∀・)


 


ショージ君の青春記 (文春文庫 177-5)