「てるてるソング」 小野塚テルの一日一冊一感動『感動の仕入れ!』日記

毎日の読書、映画、グルメ、流し、人との出会いなど様々なものから感動を得ています。特に本は年間300~400冊読破します。人々を『感』させ『動』に導き、『感する人』になるようにそのエッセンスを紹介しています。

「親子丼の丸かじり 14」(東海林さだお)

 


親子丼の丸かじり―丸かじりシリーズ〈14〉


三日間の東京ビッグサイトでの「ベーカリー&カフェジャパン2018」が、大盛況のうちに終わり、エネルギーを使い果たしたら……読みたくなるんですねー!東海林さだお氏の文章がっ!(・∀・)

丸かじりシリーズの第14弾を紹介しちゃいましょう!


「親子の味の親子丼」


・三人でお店に入って、それぞれがカツ丼と天丼と親子丼を注文するとき、カツ丼の人は「カツ丼」と言い、天丼の人は「天丼」と言う。ところが親子丼の人は「親子」と言って「親子丼」とは言わない。親子丼に限って「丼」が抜けるわけです。「いや、わたしはちゃんと『親子丼』と言いますよ」という人は、都合が悪いのであっちへ行っていて。都合がよくなったらまたこっちへ呼びます


・かつて、親子丼は、カツ丼、天丼と共に日本の三大丼と言われる大きな存在であった。「エ?三大丼って、カツ丼、天丼、うな丼のことじゃないの」という人は、都合が悪いのであっちへ行っていて。


カツ丼にも天丼にも本尊がいる。カツ丼などは丼のど真ん中に堂々と横たわっている。天丼も同様である。エビ一本ではやや頼もしさに欠けるので、二本力を合わせて応えてくれる。本尊がダブルで対応してくれるのだ。親子丼には本尊がいない。いることはいるのだが、あちこちに分断されている。本尊にすがって生きていこうと思い、頼ろうとすると「本尊はオレじゃないよ」と言われてしまう。みんなで責任を回避するシステムになっているのだ。


板ワサは、まずそのネーミングが怪しい。本体はまぎれもないカマボコなのに、その実体はカマボコとワサビなのだから、正直にカマワサと言うべきではないのか。なぜ正直に言うのをためらうのだろう。疑惑はまだある。板ワサのワサだ。マグロの刺し身にもイカの刺し身にもワサビがつくが、わざわざマグワサって言うか?イカサワって言うか?


その他、「郷愁のアイスモナカ」「板ワサ大疑惑」「下町の夏は……(お好み焼き「染太郎」)」「焼き鳥各部論」「山上のビアガーデン」「氷大好き」「名古屋喫茶店事情」「スイカを剥いて食べたら……」「重さが値段の店」「チャーシューメンの誇り」「キンピラ族の騎手は誰だ」など。


確かに、子どもの頃、チャーシューメンは贅沢の極みだったねー。オススメです。(・∀・)


 


親子丼の丸かじり―丸かじりシリーズ〈14〉