2年前に亡くなった永六輔さん。ワタシは密かに影響を受けているかも!?(・∀・)
「200万部超の大ベストセラー『大往生』をはじめ、テレビやラジオ、作詞など様々な分野で歴史的名作を遺した。彼が晩年、病気を押して最後の対話相手に選んだのが「さだまさし」だった。時間を決めず「話し疲れるまで」という条件で続いた対話は、永六輔の好奇心、行動力、人間関係、仕事の秘密、ヒットの舞台裏、有名事件の真相など、本邦初公開のエピソードが盛り沢山」そのエッセンスを紹介しましょう。
・この本は、永六輔さんとの「最初で最後の」公式な場での対談をまとめたのです。永六輔という人だけが持っている知識や知見、ものづくりのノウハウといった「財産」それを後世に伝えなければならないと、僕が対談のオファーをしたのは2013年のことでした。
・永六輔という人は、喩えるなら、たくさんの紐を腰にぶら下げていた人です。「好奇心」という名の紐です。僕も、人一倍好奇心がある人間だと自負していますが、永さんにはまったく敵いません。なぜなら僕は「休む」からです。でも永さんは、酒席でも好奇心がフル回転している。酒も飲まない、食事も早いという人ですからね。時間がたっぷりあるわけです。そしてその時間を好奇心で消費していました。
・永さんの話に笑ってください。泣いてください。でも少しだけ何かを考えてください。
・永 「(宮崎康平先生から)デビュー前のあなたのこと。「長崎に噺家になりたい若者がいるから、師匠を紹介してくれ」って。(笑)そしたら「長崎出身に噺家は無理で噺家は無理でしょう」って。そしたら宮崎さん「歌はうまい」(笑)。「だったら落語のような歌を歌ったら面白いんじゃないですか」ってアドバイスした。それがあなただった・
さだ 「本当にね、先生には感謝してもしきれません。「長崎人なら精霊流しを歌え」と強く勧めてくれたのも宮崎先生です。
・永 「こないだね。ラジオのレポーターが、道行く女学生に「永六輔って知ってる?」って訪ねたら「確か桜田門で殺された人ですよね?」だって。
・永 「中村八大から声をかけられて、唐突に「作詞したことある?」と聞いてくるから「ないです」と言うと「じゃあ、やろう。これからうちに来て」と三田のアパートに連れて行かれた。「俺が曲を作るから、それにはめ込んで歌詞を書いてくれ」と言われて、朝までに10曲仕上げた。その中の一曲が水原弘の「黒い花びら」。あっという間に巷に浸透し、50万枚突破してしまった。」
・歌はいわば生鮮食品です。時が経てば腐ります。特に「言葉」が傷むのは早く、すぐ古びてしまう。ところが永さんの歌詞は、全然古くない。今の世に新曲として出しても十分通用します。
・永 「僕の家も中国の出なの。「永」というは本名で、向こうでは「ヨン」と読む。僕で17代目。江戸時代の初めに中国から学僧としてうやってきた。今寄せ合っているのは、元浅草の永住町。永が住む町だから永住町。」
・有名になって、お金を稼いで、おいしいものをいっぱい食べる。普通ならこう考えます。ところが永さんは違った。そんなところに「幸せ」を見出していないんです。美食にも贅沢にも浪費にも興味ない。むしろ、自分が有名になること、自分が贅沢することに、恥ずかしさを感じていたんだと思います。
・大袈裟に思われるかもしれませんが。永六輔がこの世からいなくなったということは、ひとつの文化の消滅です。大きな損失です。僕が総理大臣なら、永さんにこそ、国民栄誉賞を与えるね。どうでしょう?
今年は永さん関連の本、読破するか!オススメです。(・∀・)