「てるてるソング」 小野塚テルの一日一冊一感動『感動の仕入れ!』日記

毎日の読書、映画、グルメ、流し、人との出会いなど様々なものから感動を得ています。特に本は年間300~400冊読破します。人々を『感』させ『動』に導き、『感する人』になるようにそのエッセンスを紹介しています。

「野球の真髄 なぜこのゲームに魅せられるのか」(小林信也)

 


「野球」の真髄 なぜこのゲームに魅せられるのか (集英社新書)


ソフトバンク松坂大輔が中日の入団テストに合格したよね。楽しみだよね〜!最後に一花咲いて欲しいよね〜!(・∀・)そう、野球が大好きである。今度生まれ変われるのならプロ野球選手になりたい。24時間野球の話がしたい、くらい大好きである。(笑)


さてこの本。なぜ野球に魅せられるのか?その疑問の明確に答えがここにある!「野球はかつてスポーツ・娯楽の中心だった。男の子がプレーに熱中し、試合中継に胸躍らせた時代があった。しかし今、野球は昔のような熱も輝きも持っていない。社会は野球を歓迎しない方向にすら傾き始めている。その原因を探るため、著者は野球の歴史、ゲームの本質・魅力を見直し、日本の野球がどのように変質してしまったのかを分析する。さらに野球を通して現代の日本人が失ってしまった大切なものを指摘すると同時に、野球が昔のように復権する道筋を考える。長年、野球に携わってきた著者の集大成!」そのエッセンスを紹介しよう。


野球は、人が生きるか死ぬかの積み重ねで展開する
人とは打者・走者。生きるはセーフ、死ぬはアウトだ。
そのような球技は、あまり類がない。
大半のボールゲームは、ボールの動きが主体となって、ボールがゴールやリング、スコアリング・エリアに入ったときに特典が認められる。
野球は違う。

打者が塁上に生きて走者となり、二塁、三塁を回って、本塁まで生還したときに得点になる。
身体がホームベースに戻ることが得点の方法。走者の動きが得点の主体となっている。
ホームインの瞬間、ボールがどこにあるかは関係ない
唯一の例がはホームランだ。打球がフェンスを超えた瞬間に得点が確定する。だが、これも
実際に得点が成立するのは打者走者がホームベースを踏んだときで、どこかの塁を踏み忘れてアピールされたらアウトになり、ホームランも得点も取り消される、身体が主体であることに変わりはない。
これが野球の根幹だ。たったこれだけの事実を、野球好きのどれくらいが認識しているだろう。


・草創期、野球は「打球鬼ごっこと呼んで熱中した。土台に「鬼ごっこ」がある。そう考えると、野球の本質、野球の魅力がまた新たな表情で見えてくる。鬼ごっこにボールを投げ込んで、より立体的な構造にしたのが野球なのだ。


・野球の本質が「生きてホームに還ること」だとすれば投手の球が速いかどうか、打者がどれだけ遠くに打球を飛ばすかは、最重要事ではない。豪速球、豪打、強肩には華やかさがある。それはもちろん素晴らしい野球の魅力だ。けれども、180メートルのソロ・ホームランを打っても1点にしかならない。相手打線から18三振を奪っても、わずかなほころびから失点して負けることもあるのが野球だ。


・野球は、守備側が常にボールを支配し、攻撃側にはボールを自由に操る権利が「打つ瞬間」以外に与えられていない。ゲームの主体を握っているのは守備側だ。この不思議な「攻撃」と「守備」の逆転現象が、野球独特の世界を生み、心理の綾を生み出している


・野球は「1+1が2とは限らないスポーツだ」。ヒット1本では得点にならない。ヒットが3本続いても点が入らない場合もある。つまり、1+1+1=0である。それなのに、相手のエラー、四球、死球と続き、ホームランが1本出れば、4点になる。0+0+0+1=4だ。


投げる、打つ、捕る、走る。野球には基本的にこの4つの動作しかない。すべての動作は、分解すれば一人ひとりの行動の積み重ねだ。プレーのひとつひとつは個人のパフォーマンスなのに、競技全体としては間違いなくチーム競技だ。打者のホームランや投手の快投など、個人の活躍で勝敗が決した試合でもやはり「チームが勝った」と認識できる。不思議な一体感が野球の魅力でもある。


ああ〜!球春が、開幕が待ち遠しい!長嶋さんじゃないけど「野球は人生そのもの」だね。オススメです。(・∀・)


 


「野球」の真髄 なぜこのゲームに魅せられるのか (集英社新書)