「てるてるソング」 小野塚テルの一日一冊一感動『感動の仕入れ!』日記

毎日の読書、映画、グルメ、流し、人との出会いなど様々なものから感動を得ています。特に本は年間300~400冊読破します。人々を『感』させ『動』に導き、『感する人』になるようにそのエッセンスを紹介しています。

「剛球唸る!栄光と熱闘の球譜」(別所毅彦)


剛球唸る!―栄光と熱投の球譜 (野球殿堂シリーズ)



通算310勝、47完投、巨人だけで221勝。そして投手としても500安打打っているという伝説の投手、別所毅彦。現役時代、見たかったなー!(・∀・) 古き良き時代の投手とはべーやんのことをいうのだろう。そのエッセンスを紹介しよう。


・(滝川中学時代)過酷なテストをパスして入部したものの、特別扱いなどはなく、最初の一年間はボールをほとんど握らせてくれなかった。一年生は道路に立ってファウルボールを捕らされた。しかし、私は練習中はともかく、常にボールを手にしていた。高等小学校までの軟式から硬式に変わったばかりだった。ボールを手になじませなくてはならない。手首をより強くしなくてはならない、と思った。学校の行き帰りはもちろん、授業中でもボールを離さず、先生に「おい、別所、ボールを下ろせ」としかられた。


・コントロールがなかったのは先輩の阪井盛一捕手に鍛えられた。構えていてもストライクゾーンに入らないとボールを撮ってくれない。もちろんボールはそのまま通過してしまう。「拾ってこーい」と阪井さん。手を抜いて投げると「今のは力が入っていない」と捕ってくれない。半分泣きながら投げた。投球数の方も相当なもの。フリーバッティングやシートバッティングに毎日300球以上投げ続ける日が約2年間続いた。プロ入りしてから一度も肩とヒジを傷めなかったのはこの投球数をこなしたからこそだろう。そして苦労から逃げない。これが後に大きな自信につながっていった。



・主砲の岩本さんなどは試合終了後「お前、きょうカーブは何球投げたんだ」と聞いてきた。当時の私は直球とカーブだけ。「さあ、10球ぐらいでしょうか」というと「お前それじゃまだ二流投手だぞ。一流投手というのは、カーブを5球以内で投げきるもんだ」。それほど当時は投手は速い球で相手を牛耳るもの投手たる速球を磨かなくてはいけない、という雰囲気でいっぱいだった。


“別所の得意技、3球三者凡退”これは本当に難しい。「打たせて取る」投球の極意といってもいいだろう。といっても、私がこれを狙って投げたことは一度もないあくまで偶然の産物である。巨人時代ではないが、南海のときは67球で完投という記録が残っている。



プロ入りしてからも、打撃を買われて、投げないときは一塁か外野を守り、3、5、6番を打った。打撃成績は、1972打数500安打、打率2割5分4厘、35本塁打、投手として打った31本塁打は当時日本最多だったが、これも金田正一君に抜かれてしまった。私はむしろ誇りに思っているのは、同時に20勝以上と打率3割以上をただ一人二回マークしていることだ。投手でなくても打者で成功していたかもしれないと思っている。


・(広岡達朗)「別所さんほど、一球一球に全身全霊を打ち込んでいることを感じさせる投手はいない。打たれても打たれても、そこには威厳がある。別所さんの後ろにいると、自分のところに転がってきた球は、どんなことをしても捕らなければならないという気持ちになる」


昔はこういう鉄腕という投手がたくさんいたよね。もう出てこないのだろうか。野球ファン必読。オススメです。(・∀・)



剛球唸る!―栄光と熱投の球譜 (野球殿堂シリーズ)