プロ野球投手の最大の栄誉といえば「沢村栄治賞」通称「沢村賞」。先日亡くなった星野仙一大先輩も受賞したよね。ちなみに2017年はジャイアンツの菅野智之投手。
この本は36年前に書かれた伝説の沢村栄治の評伝。貴重な写真が満載。そして沢村も特別な人間ではなく、一人の人間だったんだ!という親近感、そして戦前のプロ野球誕生の息吹と戦争による中断などが生々しく綴られている。そのエッセンスを紹介しよう。
・三宅監督の指導にもとづいて沢村は、投球に際して、ボールを握った右手を後方へにぐんと引くバック・スイングと同時に、左足を思い切り高く揚げて、その大きな反動を利用して、思い切り鋭いフル・スイング(前進を躍動させる意)でデリバリー(打者への投球)を敢行する方法を会得して、直球にも、多大の効果を収めた。この投球方法は、物理学によるテコの作用を応用する合理的な投球増大法であるが、沢村投手の旧来からの投球ホームは、これを利用するのに適していたので、三宅監督がそれを取り入れるように、適切な指導を行ったのである。
・すでに、渡米の以前から全国的な名声を勝ち得た沢村投手ではあるが、アメリカから帰って後の彼は巨人軍を代表する人気選手になりすましていて、巨人軍の試合ぶりよりも沢村のピッチングを見たいと熱望するファンは実に多かった。投球のとき左脚を思い切り高くスイングして、サッと投げ下ろしに投球を完了するピッチング・フォームは、野球ファンあこがれの的となり、「……沢村に脚を高くあげさせてくれ……」の切望は、各地の球場で叫ばれた。
終戦を契機として、古い日本野球の時代は、新しい日本野球の時代が生まれつつあった……何はともあれ日本野球最初の「礎石」となった日本一の沢村栄治投手は、日本野球の強く、たくましく、正しい発展と、良子さんとの間の遺児の安泰を、この一挙坊墓地下に絶えず念じているにちがいない…。
「沢村は左打ちだった!?」「慶應義塾に進学予定だった!?」「サチェル・ペイジ」など。
沢村が大学に進学していたらプロ野球の歴史は変わっていたよね。絶版なので図書館から借りました。野球ファン必読。オススメです。