野球が大好きである。24時間野球の話に没頭できる。次に生まれ変わることができたら、プロ野球の選手になりたい!(・∀・)
さて、私が子どもの頃は、東京ドームではなく後楽園球場である。その後楽園球場でひときわ輝いた数多くのヒーローがいた!
「プロ野球で活躍した選手たちのほとんどが歴史の中に埋没してしまって忘れられてしまう危機を感じている。とくに近年は忘却の度合いが激しい。この本は昭和とはどういう時代であったかとプロ野球を通して考えさせられる時代論でもある。さらに日本という組織の中で、自分の役割をどのように果たしてゆくかを考えさせる日本人論でもある」
その中で「沢村賞」にその名を残す、戦前のプロ野球の黎明期の伝説のエース・沢村栄治の章を紹介しよう。
【沢村栄治ー悲劇のエースの人と伝説】
・倉信雄という法政大学出身の捕手は沢村の球を受けて三球ともパスボールしてしまった。低いと思って、ミットを出すと、いきなり浮き上がって肩の上を通ってしまったのである。沢村の投球を見た中島治康は「これほどまで速い球は見たことがない」と思ったし、事実レギュラーバッティングが始まると、全日本のスター選手を九人連続三振に取って一目置かれるようになった。
・マウンド上での沢村の左足は天を衝くようにまっすぐに伸び、速球を投げるときは手首とボールが摺れる音がしたという、二塁手の田部武雄、三塁手の水原茂、遊撃の苅田久徳は彼がいつも抑えるものだから、ある試合で三人は一斉に目を閉じて守ったときがあった。冗談でおこなったことだが、ミットに彼の球が勢いよく投げ込まれる音がして、安心したときもあった。ボールは空振りのストライクだった。
・その頃の沢村の球はピストルよりも速いと言われていた。誰がピストルの弾と沢村の球の速さを比較して、新聞に発表したりしていたからである。河野安通志は「沢村の前に沢村なく、沢村の後に沢村なし」と賛美した。
・現在どの球団にも打撃練習のための専属の投手(打撃投手)を置いているが、じつは日本でそのはしりとなったのも沢村の存在が絡んでいる。タイガースは、通常のプレートの位置よりも1メートル前に投手を立たせて、打撃練習をおこなった。その時の打撃投手・青木正一はチームの勝利のために裏方に徹し、このときに肩を壊して野球人生を棒に振ったとも言われている。
・沢村は全盛期には「俺の球が一番速かったときは、ベース板の前縁を目標にボールを投げた」V9のエース堀内恒夫「僕の全盛時代には、ボールが右手から一本の糸をまっすぐ張ったようにキャッチャーミットめがけて飛んでいった」東映で活躍し、日本でもっとも速い球を投げたと言われるた尾崎行雄は「捕手のミットをめがけて投げると、どうしても球がホップしてボールになってしまうので、捕手の膝めがけて投げたものです」この三人にうちで誰の球がもっとも伸びて速かったか一目瞭然だろう。
その他、「川崎徳次ー巨人、西鉄とエースに君臨した熱血九州男児」「多田文久三ー豪腕投手と強肩捕手を兼ねた異色選手」「十五日間のエース・村瀬広基ー伝説の救世主投手」「城之内邦雄ー“エースのジョー”伝説」など。
ああ…5年間で100勝を挙げたエースのジョー、見たかったなあ…。栄光のジャイアンツのの先人に感謝!ジャイアンツファン必読!オススメです。(・∀・)