「てるてるソング」 小野塚テルの一日一冊一感動『感動の仕入れ!』日記

毎日の読書、映画、グルメ、流し、人との出会いなど様々なものから感動を得ています。特に本は年間300~400冊読破します。人々を『感』させ『動』に導き、『感する人』になるようにそのエッセンスを紹介しています。

「プレイバック 制作ディレクター回想記 音楽「山口百恵」全軌跡」

 


プレイバック 制作ディレクター回想記 音楽「山口百恵」全軌跡


最近、なぜかハマっているのが山口百恵。あの当時はダントツで(桜田)淳子ちゃんが大好きだったんだけど、今でも百恵ちゃんの音楽を思い出すんだよね。


「スター誕生!」からデビューし国民的大スターへと成長していった山口百恵の、引退までの全ドキュメント。歌手としての成長、また様々な名曲の誕生秘話を、当時のディレクター川瀬泰雄氏が制作現場の実体験を綴る。全シングル・全アルバムの解説&エピソード満載」そのエッセンスを紹介しよう。


山口百恵が引退してからすでに30年たった。僕は、自分のホームページの中にプロデュースしてきたアーティストの一覧を書いた。そして百恵のページに「エルヴィス・ビートルス・陽水・百恵で僕の音楽の歴史が作られました」と書いた。エルヴィスで音楽に目覚め、ビートルズで音楽を演奏する楽しさを知り、陽水で音楽を作る喜びを知り、百恵でプロデュースの意味と人生の楽しさを知った。今思い出してみると、一人の素晴らしいアーティストの誕生から見事な引き際までを、こんなに間近に見ていられたことは、本当に奇跡的な体験だったと思い知らされる。


宇崎竜童氏、阿木耀子さんとの出会いが一段と百恵を成長させた。百恵の引退が決まって一番ホッとしたのは、数々の名曲を生み出してきた宇崎氏だったのかもしれない。曲が出来上がってくるたびに、我々はキツい手直しを依頼することを繰り返し、円形脱毛症になっていたこともあったほどだった。谷村新司氏やさだまさし氏と百恵の出会いも印象に残るものであった


・僕自身が音楽のジャンルというものにこだわらなくなり、むしろ山口百恵というジャンルを確立していきたいと思い始めてからは、ありとあらゆる音楽にトライした。ポリシーは、良いものは良いというこどだけだった。考えてればそれもビートルズの影響だったかもしれない。


・(萩田光雄自分にとって百恵さんに代わるほどの人が現れてないというか……時々は百恵さんに還ってみたくなる……やっっぱりきっとなんか、代わりになる人はあまりいないんじゃないかな。だから美空ひばりさんや石原裕次郎さんのような日本の特別な存在。そういう限られた存在に百恵さんがなってるってことかな。百恵さんの歌には、歌の他に気配のようなものがあるでしょ。その気配とか空気が、もう歌っていないことによってそのまま残ってる。「気配」っていうの音色や姿やテクニックのまわりにただよっているもの……だからまねたり、つかんだりににくい個性だと思うわ。



「としごろ」「春風のいたずら」「ひと夏の経験」「夏ひらく青春」「ささやかな欲望」「ありがとう あなた」「白い約束」「愛に走って」「赤い運命」「横須賀ストーリー」「パーツカラーにゆれて」「初恋草紙」「夢先案内人」「イミテイション・ゴールド」「秋桜」「最後の頁」「あまりりす」「プレイバックPART2」「プレイバックPART1」「いい日旅立ち」「曼珠沙華」「愛染橋」「さよならの向う側」など。


30年以上の時を経て、聴きたくなるなんて、スゴいアーチストだね。オススメです。(・∀・)


 


プレイバック 制作ディレクター回想記 音楽「山口百恵」全軌跡