さて、この本、「テレビ・ステーション」連載されてたエッセイなんだって。知らなかったなあ。そのエッセンスを紹介しよう。
・「音楽作品というものは、 音楽家が自らの生命を削りながら生み出す“音楽の神様”への“ 供物”なのだ」これは服部良一先生の心に残る言葉だ。「 何のために歌づくりをするのか」 と最初に自分に問いかけた答えがこれである。自分の言葉で語り、 自分のメロディで歌い、自分の演奏と、自分の声と、 その全てを駆使し、その声を聴いてくれる人に生命を懸けた「 応援歌」を送り続けることこそが、 表現する場所を与えられた者の誠実な仕事だと思う。 その音楽の質の問題ではなく「志」の問題として、だ。 僕はまだまだ愛の歌を歌い続けてゆく。
・人にはきっと超能力が与えられている。それは火を起こしたり、 スプーンを曲げたりすることではなく「 人生の三叉路にさしかかったとき、必ず、 自分にとって良い方を選ぶ」という能力なのだ。 ということはつまり、右の道を選んで失敗した、ああ、 左に行けばよかった、という後悔は間違いだ、と。右へ来て「 失敗」したなら左へ行っていれば「大失敗」しただろう、と。 僕は悩むときにそうして自分を励ますことにしている。 そうして自分の失敗を笑うことが出来たら、 そこで足が止まってしまうことはない。どれ程痛い思いをしても「 進む勇気」を得ることが出来るからだ。
・たかだか一つの歌が、誰かの心の支えになることがあるのだ、 命懸けで作らねばならぬ、 と改めて自ら身の引き締まる思いがする。
・「ピンと来ないでしょう?」 と電話口で僕は十八歳の山口百恵さんにそう言った。「 結婚前夜の母親」というテーマは理解できるはずもないだろう、 と思ったからだ。 やがて彼女が三浦友和さんという素晴らしい伴侶を得て引退するこ とになったとき「 さださんがこの歌を作ってくださったお気持ちがやっと解る日が参 りました。本当に、本当に、ありがとうございました。山口百恵」 というメッセージが届いた。僕は何度も読み返して感動に震えた。 たった一度、 電話で話しただけの僕の台詞を彼女はずっと記憶してくれていたの だ。 しかも自分の人生で最後のコンサートを迎えるというそんな日に、 他人にこれ程の配慮の出来る人が居るのだ、という感動である。 たかだか一曲の歌謡曲を挟んで、 僕は偉大な歌手とこれ程感動的なエピソードによって向かい合えた ことに感謝する。勿論、僕に生まれてくれたこの歌にも。
「花嫁の手を引く初老の父親ー「親父の一番長い日」と故・ 山本直純先生の思い出」
など。
いいねえ。山口百恵の「秋桜」を初めて聴いたときには感動したよね〜!百恵ちゃんの高音のサビは新しい魅力を引き出したよね。あらためて聴きたくなりました。オススメです。(・∀・)