「てるてるソング」 小野塚テルの一日一冊一感動『感動の仕入れ!』日記

毎日の読書、映画、グルメ、流し、人との出会いなど様々なものから感動を得ています。特に本は年間300~400冊読破します。人々を『感』させ『動』に導き、『感する人』になるようにそのエッセンスを紹介しています。

「甲子園が割れた日 松井秀喜5連続敬遠の真実」(中村計)

 


甲子園が割れた日―松井秀喜5連続敬遠の真実 (新潮文庫)


今でも鮮明に覚えているが、球史に刻まれた一戦、1992年夏、星稜vs明徳義塾松井秀喜の5敬遠。すごかったねえ…。あんな出来事は空前絶後だろうねえ…。あれで松井が伝説になったよね。(・。・)


「甲子園なんてこなければよかった」─松井との勝負を避けた明徳は非難を受け、試合をきっかけに両校ナインには大きな葛藤が生まれた。あれから15年、自らの人生を歩みだした監督・元球児たちが語る、封印された記憶高校野球の聖地で、彼らは何を思い、何が行われたのか。球児たちの軌跡を丹念に追ったノンフィクション。そのエッセンスを紹介しよう。


高校野球史上に今なお「事件」として記憶される、明徳義塾ー星陵の一戦で起きた「松井5敬遠」ー


投手の河野。「いい思い出ですよ。誰も経験できないことを経験したわけですしね。みんな『河野がかわいそう』っていいますけど、ぜんぜんかわいそうじゃないですよ。勝ったんですから


馬淵監督「答えは出んよ、一生。ええやろ。あれで松井の株が上がったんやから。(5敬遠は)一生の誇りだと思っております。天下の横浜や智弁和歌山の監督にできるかね。俺だからできた。若くて、何も失うもののない俺やったから。やりたいと思ったやつは五万とおるやろ。でも実際にできるやつはおらんよ。後のこととか考えたら。うちだって、あれでぽしゃっててもおかしくないんやから。ましてや、5敬遠して負けてたら、俺、もう監督しとらんやろ。あの作戦を否定することは、自分の人生、生き様を否定することになるからねそれはできん。やっぱり、思うことはありますよ。昔に戻れるんなら、やらずに済むんだったら、やらなければよかったって。それ、正直な気持ちですよ」


明徳主砲、岡村。「(松井を)化けモンかと思いましたよ。根本的に体が違うと思いましたね。身長だけじゃない。骨組みが違った」


石川・遊学館山本監督「彼の何がすごいって、手の分厚さですよ。あんなすごい手、見たことない。骨の太さが違うんでしょうね。だからあれほど練習をやっても潰れない。彼のいちばんの才能はどれだけ練習しても壊れない体ですよ


明徳キャプテン筒井「スイング、見えなかったんですよ。素人が見えんというのはわけが違うんですよ。ずっと野球をやってきた僕らが見えんのですよ。同じ年の子のスイングを見て、そんな風に思ったんは初めてでしたね。こいつはヤバイと」



明徳3塁コーチャー中矢「『わしがな、黒のカラスを見て白じゃといったら白と思え』って馬淵監督からは言われましたから。みんな本当に白いと思ってましたよ。監督のいうことがすべてという訓練を受けていましたからいいか悪いかは別として。いい意味でみんな馬淵教の信者でしたから


明徳捕手青木「ああいう場でどうして僕らが運命共同体になれたのか、そっちのプロセスの方を取り上げて欲しいですよ。試合がどうだったかということよりも。馬淵監督っていうカリスマ性のある人がおって、寮生活があって、なにもかも厳しい中でね。まあ、説明してもわからんでしょうけど。学校という感覚じゃなかったですね。修行しにいっているというか。僕はなんぼ積まれても、もう二度とあんな生活はしたくないですね」


松井秀喜怒りの感情はぜんぜんなかった。ただ勝ちたい、それだけでしたね。敬遠されてもぜんぜん悔しくなかった。他の人が打ってくれると思ってましたし。自分が打てる打てないなんてどうでもいいんですよ。試合に勝ちゃ」


両校の野球観の違いの背景にあったもの。それは、野球に純粋だったのか、勝負に純粋だったのか。「野球観」と「高校野球観」その違いだった。


この本を書いていただいて、世に出していただいて感謝。野球っていいなあ。本気っていいなあ。超オススメです。(・∀・)


 


甲子園が割れた日―松井秀喜5連続敬遠の真実 (新潮文庫)