「てるてるソング」 小野塚テルの一日一冊一感動『感動の仕入れ!』日記

毎日の読書、映画、グルメ、流し、人との出会いなど様々なものから感動を得ています。特に本は年間300~400冊読破します。人々を『感』させ『動』に導き、『感する人』になるようにそのエッセンスを紹介しています。

「高校野球 熱闘の100年 甲子園の怪物たち」(森岡浩)


高校野球 熱闘の100年 甲子園の怪物たち (角川新書)


夏の甲子園地区予選まっただ中だよね。今年も数々のドラマが繰り広げられるのだろう。(・∀・)


高校野球誕生から100年。大正4年の第1回大会から現在まで、高校野球史研究の第一人者が、ドラマチックな名場面に迫り、今もなお語り継がれる名選手・名勝負の数々を、豊富なエピソードとともに描き出す。 なかでも江川卓の章がトンデモなくスゴイ。そのエッセンスを紹介しよう。


2015年8月、高校野球は満100年を迎える。100年前の夏の第一回大会では、青森県代表も熊本県代表も出場していない。それどころか、両県とも予選にすら参加していない。この100年間、どういう歴史をたどり、どうやってこのような隆盛を築いてきたのか。実は、高校野球の歴史と私たちの生活には密接な関係があり、高校野球の歴史は日本人の生活史を色濃く反映していることがわかる。


高校野球史上最高の投手】


この100年間数多くの名投手が登場した。延長18回再試合を投げ抜いた徳島商板東英二、延長線でノーヒットノーランを達成した早実王貞治、甲子園に5回出場して通算20勝をあげたPL学園桑田真澄、夏の決勝戦ノーヒットノーランを達成した横浜高の松坂大輔、22奪三振を記録した桐光学園松井裕樹などたくさんの投手が活躍した。しかし、こうした記録は達成していなくても、戦後最高の投手は間違いなく作新学院高の江川卓である。



・桑田のPLや松坂の横浜はチーム自体に力があり、桑田や松坂が登板しなくてもかなり強いチームであった。しかし江川の作新は、もし江川がいなければ甲子園に出場することすら不可能だったろう。大黒柱の江川がいて初めて成り立つチームだったのである。


江川は負けた試合も含めほとんど打たれていない。桑田や松坂と対戦するチームの監督が「いかにして打ち崩すか」を考えたのに対し、江川と対戦するチームの監督は「江川を打てるわけがない。どうすれば打たずに勝てるか」を考えたのである。


・江川の最後の夏の55回大会の県大会の成績は全5試合のうち3試合がノーヒットノーランで、打たれたヒットはわずかに2本。横浜の松坂は神奈川大会4試合で24イニング投げてヒットは14。3年夏の桑田は大阪府大会7試合で54イニングでヒット35。江川の被安打2といういのが、どれぐらいすごいか一目瞭然だ。


作新学院高は江川のワンマンチームだった。勝つときは江川が相手を完璧に抑えてヒーローとなり、負けたときはチームのエラーが理由で「江川がかわいそう」といわれる・普通のチームに突如現れた怪物は、常に孤高のエースであった。


・江川は在学中に公式戦だけで44試合に登板し、31試合に完投している。そのうちノーヒットノーランを7回、完全試合を2回も記録している。つまり、完投した公式戦のうち約3割はノーヒットノーラン完全試合なのである。それ以外の試合でも、ほとんどが1安打か2安打しか許していない。おそらく、これ以上の投手は二度と現れることはないだろう。


・江川はプロ野球9年間で135勝72敗3セーブ。高校時代の江川からするとさびしい数字だと言わざるをえない。絶頂期の高校2年でプロ入りしたらどれだけの成績が残せただろうか。61年夏の甲子園で優勝した浪商の2年生エース尾崎行雄は6年で104勝している。この6年間に江川が巨人で投げていれば、尾崎を上回る120勝くらいはあげいた可能性があるのではないか。すると、江川のプロでの通算成績は255勝となり東尾修(251勝)や工藤公康(224勝)を上回って、プロの歴代ベストテンにも顔を出す。しかもわずか32歳でこれだけの成績を残した可能性が高いのだ。


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はあ〜!あの名場面が思い出される〜!やっぱり野球って素晴らしいなあ。野球ファン必読!超オススメです。(・∀・)



高校野球 熱闘の100年 甲子園の怪物たち (角川新書)