「てるてるソング」 小野塚テルの一日一冊一感動『感動の仕入れ!』日記

毎日の読書、映画、グルメ、流し、人との出会いなど様々なものから感動を得ています。特に本は年間300~400冊読破します。人々を『感』させ『動』に導き、『感する人』になるようにそのエッセンスを紹介しています。

「怪しいものたちの中世」(本郷恵子)

   


怪しいものたちの中世 (角川選書)


アヤシイものが大好きな私はタイトルに惹かれて読みました!(・∀・)!以前から漠然と思っていたんだが、奈良の大仏とか東大寺って国家予算のようなものがなかった時代に誰がお金を出したのか!?それは民衆からの勧進だったのだー!へー!


「日本の中世に暗躍した「怪しいもの」とは何者か。山伏、占い師、ばくち打ち、勧進……。神仏の威光を利用した彼らの活動は多様であり、心の平安を与える方法は多岐にわたる。一見すると詐欺のようにも思えるが、殺伐とした環境に置かれた人々に夢見る喜びを感じさせ、人間らしい感情や希望、未来について考える機会を与えていたのだ。中世の「宗教」の果たした知られざる効用を、豊富な事例から解き明かす新しい中世史」そのエッセンスを紹介しよう。


日本の中世は、圧倒的に管理されていない社会である。朝廷(公家)と幕府(武家)という二つの政権は並立してはいるもののどちらも完全なものを目指そうとする意志に欠いたように見える。セーフティ・ネットの設定されていない社会で、それに代わる役割を宗教が果たしていたといえる。政権が顧みない公共分野、すなわち橋や道路の建設等の公共事業・貧者救済等の社会事業を引受けたのが、勧進である。勧進聖(ひじり)は、人々の信仰を吸い上げて仏へと結縁させ、同時に彼らの持つ余剰を結集して事業の財源とした。実務的な判断や経理の技能が、事業の遂行を支えた。


夢としか思えないようなことを実現に持ち込むのが、勧進の力である。中世初期の大勧進俊乗坊重源は、戦乱で焼かれた東大寺の大仏と大仏殿を再建した勧進は中世に生まれた仏を人とを結ぶ方式で、寛容と平等主義に裏付けられ、社会事業の達成という現実的な成果を生み出した。


仏のもとに献ぜられた財貨=福を分け与えることを通じて、慈悲や寛容の心を示して徳を積む。借りたほうも、仏を借り、それを増やして再び仏に献ずることで徳を積むのである。両者にとって、仏の福に連なることを通じて信仰を形にし、仏との縁を結ぶ「結縁」の行為にほかならなかったといえよう。このような連環のなかで、財貨・福・徳は念仏によっても代替可能となり、世俗の財貨と宗教上の功徳や善根との垣根は取り払われる。両者を通算して極楽銀行に積み立てることができるのである。


へー!「極楽銀行」に積み立てたいなあー!オススメです!(=^・^=)


   


怪しいものたちの中世 (角川選書)