「てるてるソング」 小野塚テルの一日一冊一感動『感動の仕入れ!』日記

毎日の読書、映画、グルメ、流し、人との出会いなど様々なものから感動を得ています。特に本は年間300~400冊読破します。人々を『感』させ『動』に導き、『感する人』になるようにそのエッセンスを紹介しています。

「白川静さんに学ぶ 漢字は楽しい」(小山鉄郎 白川静監修)

    


白川静さんに学ぶ漢字は楽しい (新潮文庫)


以前から思っていたけど、漢字学の第一人者白川静さんの漢字の成り立ちのハナシは面白いを通り越して、オモシロすぎるねえ!(・o・)

小学校からこの授業をやれば、子どもたちはみんな、漢字の達人になるよ。そのエッセンスを紹介しよう。


「おもふ(おもう)」という日本語には、モノを考えるという意味はないのです。「おも」は顔のこと。それが動詞化した「おもふ」はうれしいことや悲しいことが「ぱっと、顔に出る」という意味です。その「おもう」が漢字に出会って、深化していったのです。


漢字の「思」の上の「田」は頭脳の形で、頭がくさくさするの意。「念」の「今」の部分はモノにふたをする形で、じっと気持ちを抑えている意味。「懐」は死者の衣の襟元に涙を落として哀悼すること。「想」の上の部分の「相」は茂った木を見ると心に勢いが出てくる、つまりモノを見て心が動くこと。ですから「想」は、この心の勢いを他の人に及ぼし、遠くおもいを馳せること。おもいやることです。それらの漢字を今、われわれはいろいろな「おもう」に使っています。顔にぱっと出るという単純な言葉だった「おもう」が、漢字に触れてぐっと深まり広がったのです。


【申】はもともと「神」の意味の文字。稲妻が屈折しながら走る姿なのです。古代で最も不思議で恐れられた自然現象は雷でした。日本語でも「かみなり」というように、雷と稲妻は神の顕現と思われたのです。稲妻は縮んだり、伸びたりして斜めに屈折しながら走るため、屈伸の意味や伸びるの意味もあります。そのように「申」の字が多義化して「かみ」以外の「のびる、もうす」などの意味にも使われるようになったのです。


【示】は神を祭るときのテーブルの形なので「示」を使った漢字はみな「神」に関係した文字です。「祭」の「月」は夜空の月ではなくて、「にくづき」のほうの「月」で、一枚の肉切れのことです。肉の横の二本線は肉の筋をあらわしています。「又」は何度か紹介していますが、手の形です。つまり「祭」という字は、神を祭る祭卓に手で肉をのせて、お祭りをするという意味の漢字なのです。


【道】にはなぜ「首」があるのでしょう。古大字でも、首を持って行く形をしています。他の民族のいつ土地や外界に通じる道は、邪悪な霊に接触する非常に危険な所であったのですが、その「道」を行くとき、異族の人の首を刎ねて、それを手に持ち、その呪力によって、邪霊を祓い清めて進んだのです。その祓い清めて進むことを「導(みちびく)」といい、祓い清められた所を「道」といい、「みち」の意味に使ったのです。今考えると残酷極まりない行為ですが現代とは価値観のまったく異なる時代のことですので、現在の価値観で考えてはいけません。漢字ではこのように呪術的世界が反映した文字が多いのも特徴です。


この業績は確かに文化勲章モノだよねえ。どのページも読みながら感動するよ。オススメです。(・∀・)


    


白川静さんに学ぶ漢字は楽しい (新潮文庫)