「てるてるソング」 小野塚テルの一日一冊一感動『感動の仕入れ!』日記

毎日の読書、映画、グルメ、流し、人との出会いなど様々なものから感動を得ています。特に本は年間300~400冊読破します。人々を『感』させ『動』に導き、『感する人』になるようにそのエッセンスを紹介しています。

「心は孤独な数学者」(藤原正彦)

数学や数字が苦手であるワタシは、ぞの反面、数学に没頭する数学者が好きである。それほど夢中にさせる「数学の世界」が好きなのだ。


さて、この本は3人の天才数学者の評伝。天才中の天才ニュートンニュートン「プリンキピア」を12歳で読破した早熟の天才ハミルトンヒンドゥーの女神のお告げを受け、新定理を量産した神がかり的天才ラマヌジャン天才はなぜ天才なのか。才能ゆえの栄光、が、それと同じ深さの懊悩を彼らは抱えこんでいたのではなかったか。憧れ続けた3人の天才数学者の人間としての足跡を、同業こその理解と愛情で熱く辿った評伝紀行。その中でニュートンの章の抜粋を紹介しよう。


アイザック・ニュートンの生まれた1642年は、力学の基礎作りに貢献したガリレオ・ガリレイの死んだ年である。幼少期のニュートンの胸の内は、彼が二十歳の時に雑記帳に記した告白に表れている。そこには暗号代わりの筆記体で。それまでに犯した58の罪が箇条書きされている。その一つに「義父と母を家もろとも焼き殺してしまうと脅したこと」というのがある、十歳にも足らぬ少年が、このような憎悪に駆られていたといことから、ニュートンの受けた傷の深さが読み取れよう。ハイティーンの頃のラテン語練習帳には、恐怖、不安、卑下、疑惑といった否定的な内容の文例ばかりが目立つそうである、同時代の哲学者ヘンリ・モアによると、ニュートンはいつも憂うつな表情だったそうである。


ニュートンが、大学に入るまでほとんど数学や物理を勉強しなかった、というのは発達心理学の立場から興味深い。極端な猛勉により、二年足らずの短期間に、ほとんど独学で化学や数学を身につけたのある。精進が認められ。卒業を前に特待生に選ばれることになる。準免責生の義務から解放されたばかりか、コレッジにおける四年間の給費付き研究生活まで保証されたのである。


・ウールズソープ村に帰省していたこの期間に、20代前半の青年ニュートンは、何と、微分積分法、光と色に関する理論、万有引力の法則という、三つの大理論の端緒を発見したのである。ペストによる大学閉鎖が、若き天才を雑務から解放し、孤独の中で研究に没頭するという絶好の機会を絶好の時期に与えたのである。晩年この時代を振り返って「独創の面で生涯最高の時代だった。それ以後のいかなる時代より数学と哲学に打ち込んだ」と語っている。


ニュートンは、力学については20年後になってやっと『プリンキピア』の中で全容を明らかにした。数学と光学に関しては,
なんと38年後になって初めて公表した。最高の数学者が初めて数学論文を公表したのは、62歳の時だった。これほど遅れた理由はいろいろあろうが、最も大きな理由は、彼が完全主義者だったということではあるまいか。


生活は急変した。数学、力学、天文学に、伝説的な激しさで打ち込み始めたのである。これからの2年間にわたる極度の精神集中は、若き日のウールズソープ村でのそれに匹敵するものであった。講義時間以外は。自室にこもったまま、いかなるリクリエーションもとらず研究にふけった。食事を忘れるのも毎度で、秘書がテーブルに置きっぱなしになっている食事を催促して、やっと一口か二口食べるという具合だった。この秘書は5年間ほどニュートンに仕えたが、その間に彼は一度しか笑わなかったと言う。ある知人がニュートンに「ユークリッド幾何学を勉強して何の役に立つのですか」と尋ねた時だったと言う。


・一年半後の1686年、「自然哲学の数学的原理(通称プリンキピア)」は完成し王立協会に提出された。原稿を見たハレーが「興奮のあまり死んでしまわなかったのはまさに幸運」と言ったほどの内容だった。これは翌年刊行された。人々にとっては、1687年のある日突然、宇宙が変わってしまった。天と地が、数学により一体化したのである。


『プリンキピア』を手にした数学者ロピタルは、それが人間の手によるものとは信じられず「ニュートンは食べたり飲んだり眠ったりするのか。普通の人間のような外観をしているのか」とニュートンを知る人に尋ねたそうである。


数学、力学、天文学のそれぞれにおける諸成果を、完全無欠な有機体として統一したのが『プリンキピア』である。「創造の人」ニュートンは『プリンキピア』で燃え尽きた。44歳だった。後半生は「栄光の人」とした生きた。ニュートンがいなくとも、いつか誰かは『プリンキピア』の全内容を発見したはずである。しかし50年は遅れたであろう。科学の影響というのはそういうものである。天才科学者の力とはそういうものである。


ニュートンにとって宇宙もまた、尖塔を通さず直接に神の声を聞ける場であった。「神が自ら造った宇宙だから、神の声がその仕組みの中に、美しい調和として在るに違いない」。この強烈な先入観があったから、宇宙が数学の言葉で書かれている、などという信念をニュートンは持ったのであろう。聖書では使徒の言葉を通して、史書錬金術研究では古代や中世の賢人の知恵を通して、自然研究では宇宙の仕組みを通して、ニュートンは神の声を希求しつづけたのだった。


いままでのニュートンのイメージがガラッと変わった…。スゴかったんだなあ…。天才に憧れるなあ。オススメです。(^_^)