「てるてるソング」 小野塚テルの一日一冊一感動『感動の仕入れ!』日記

毎日の読書、映画、グルメ、流し、人との出会いなど様々なものから感動を得ています。特に本は年間300~400冊読破します。人々を『感』させ『動』に導き、『感する人』になるようにそのエッセンスを紹介しています。

「100年の難問はなぜ解けたのか 天才数学者の光と影」(春日真人)

  


100年の難問はなぜ解けたのか―天才数学者の光と影 (新潮文庫)


この本は、読み終えるのが惜しいほど、夢中になりました!今年のベスト10は間違いなしだねえ。(・。・)
以前、紹介したこの本に匹敵するおもしろさ!そして数学の深さが伝わってくる。


BOOK〜フェルマーの最終定理サイモン・シン著)
http://d.hatena.ne.jp/lp6ac4/20070214


「1世紀にわたり、幾多の挑戦者を退け続けた超難問、ポアンカレ予想が解かれた。証明したロシア人に対して、「数学界のノーベル賞フィールズ賞が贈られ、偉業は大きく祝福されるはずだったが──。受賞を辞退して姿を消し、100万ドルの賞金さえも受け取らなかった天才は、栄光の陰で何を見たのか。数学者たちを悩ませた難問の実像に迫る。大反響を呼んだ傑作ノンフィクション」 そのエッセンスを紹介しよう。


グリゴリ・ペレリマン博士はなぜ栄誉に背を向け、姿を消してしまったのか。「高潔な数学者」「完全なまでの誠実さ」「数学は彼の人生そのもの」……博士を知る数学者たちの真意は定かではながい、そこには博士の失踪のナゾを解くヒントが隠されている気がした。私達は数学について。まだ大切な何を知らないのではないか。ポアンカレ予想とは一体どんな難問なのか。そしてその難問が100年のあいだ、どんな運命を辿ったのか。数えきれない数学者たちがポアンカレ予想の魔力によって人生を翻弄されたのだ。


・数学だけでなく物理学や哲学などあらゆる学問をマスターし、レオナルド・ダ・ヴィンチアイザック・ニュートンとも並ぶ20世紀の「知の巨人」と称えられるポアンカレ「単連結な三次元閉多様体は、三次元球体と同相と言えるか」


・「誰かが長いロープを持って宇宙一周旅行に出かけたと想像してみてください。その人物が旅を終え、地球に無事戻ってきたとしましょう。そのとき、宇宙にぐるりと巡らせたロープは、こいつも必ず自分の手もとに回収できるでしょうか。もしロープが必ず回収できるならば、宇宙は丸いと言えるはずだ。これが今日ポアンカレ予想と呼ばれているものなのです」


「家族の皆が、私のことを『ポアンカレ病患者』と呼びました。『今お父さんはポアンカレ病にかかわっているから話もできない』というように」


・「数学者は常に、楽しみに苦痛とが織りなす日常、そして『特別な数学の世界』とのあいだを行き来しています。数学の世界への扉を開けられる者は限られていますが、そこには永遠の真理があり、すべてを理解できるものだけが、その世界で完璧な日を目撃することができるのです。まるで迷宮に迷い込んでしまったかのように、クリスタルの壁に乱反射する光に数学者は思わず取り憑かれてしまうのです。


・「彼の語る言葉は明晰で、自分の研究分野を深く理解していました。多くの数学者と違って技術的なディテールを知り抜いていて素晴らしかった。数学以外のことにはほとんど関心がないようでした。彼は強靭な肉体と精神に恵まれていました。40キロ歩いてロシアの黒パンを買いに行くのは、それが最もおいしいと判断したからです。ペレリマンは自分が必要だと考えたことは、どんなに困難でもやり遂げる意思と能力を持っているのです。


・ミハイル・グロモフ博士「いつだったか私が、大きな難問に挑むのは魅力的だが大きければ大きいほど失敗したときのダメージは計り知れないと言ったのです。するとペレリマンは真面目な顔でこう答えました。『私には、何も起きない場合の覚悟がある』と」


100年に一度の奇跡を説明するのは、実に困難です。しかし、ペレリマンが孤独に耐えたことが成功の理由かもしれません。孤独の中に研究とは、日常の世界で生きると同時に、めくるめく数学の世界に没入するということです。人間性を真っ二つに引き裂かれるような厳しい闘いだったに違いありません。ペレリマンはそれに最後まで耐えたのです。彼は必要でないものを徹底的にそぎ落とし、社会から自分を遮断させて問題だけに集中しました。その純粋性が七年間もの孤独な研究を可能にし、同時にフィールズ賞を辞退させたのです。人間の業績を評価する場合、純粋性は大切です。なぜなら、数学、芸術、科学、何においても、堕落が生じれば消滅の途をたどってしまうからです。私達の社会も、倫理の純粋性が一定のレベルで存在しなければ崩壊するでしょう。意識する、しないに関係なく、数学は何よりも純粋性に依存する学問です。自己の内面が崩れては、数学はできません。


数学者が問題に挑む動機、それは未知なるものへの憧れです。数学者の好奇心はいわば、大人になっても子どもの好奇心を持ち続け、南極やアマゾンを発見した探検家たちとも変わりません。いまやこの地球上では、まったく未開拓だと思われる場所はだいぶ少なくなってきました。でも頭の中の知的世界には、何の制限もありません。未知なるものは無限にあるのです。


・数学でもっとも特別な瞬間は、問題を違った角度から眺めたとき、以前見えていなかったものが突然明確になったと気づく瞬間です。鬱蒼とした森だと思っていたのに、適切な場所に自分が立つと、木が整然と並んでいるのが見えるのです。他の角度から見るとその構造は見えずに、混沌とした木だけが見えます。でも、適切な方向に自分が向くと、突然、この構造が見えます。数学とはこのようなものです。私にとってペレリマンの論文はその連続でした。私は何度も『美しい』と思いました


彼は25年前とはまったく別の人間になってしまいました。私には、いま彼に何が起こっているのかわかりません。彼の生きている世界は、私たちが生きている世界とは、もはや違うようです。ポアンカレ予想を証明することは、私たちには想像すらできない恐ろしい試練だったのかも知れません。その試練を彼はひとりでくぐり抜けました。しかしその結果、彼は何かを失ってしまったのです。


・例えば登山家は、普通の人とは違い、山で命を落とすことを恐れません。数学も同じなのです。たとえ命と引き換えでも構わない、世の中の他のことなど、愛する数学に比べれば、取るに足らないものだ。数学の真の喜びを一度でも味わうと、それを忘れることはできなくなるのです。


数学は旅に似ています。見たことのないものを、何とか見ようとする努力なのです。数学は不思議な力で私たちの目の前の世界を彩り、徐々にその神秘を明らかにしてくれるのです。


・ペレリマンは『現在、別の関心事がある』と言いました。それは何かと尋ねたら、まだ話せないと答えました。何かとてつもない研究に取り組んでいるのかもしれません。それが数学かどうかも、私にはわかりませんが。


その他、「ハーケン博士の四色問題」「天才数学者の素顔」「サーストンの「幾何化予想」=宇宙がたとえどんな形であろうとも、それは最大で八種類の異なる断片から成り立っている」など。


スゴイなあ…。どんな境地に至ったのか、どんな世界を見たのか…とても興味があるなあ。数学が苦手な方でもわかりやすい。超オススメです。(・∀・)!



100年の難問はなぜ解けたのか―天才数学者の光と影 (新潮文庫)