「てるてるソング」 小野塚テルの一日一冊一感動『感動の仕入れ!』日記

毎日の読書、映画、グルメ、流し、人との出会いなど様々なものから感動を得ています。特に本は年間300~400冊読破します。人々を『感』させ『動』に導き、『感する人』になるようにそのエッセンスを紹介しています。

「にっぽん野球の系譜学」(坂上康博)

野球が大好き。24時間、野球のハナシができるんじゃないかと思っているくらい大好きである。(・∀・)

日本の国民的スポーツともいえる野球はどのようにして日本に根づいたのか!?日本野球の黎明期の物語が本書である。

「明治から現代までの歴史的な文脈のもとで野球小僧たちの言説を読み解き、「ダイナミックな文化形態」としての側面を浮き彫ることで、日本の野球史を生き生きとしたドラマと力に満ちたものとしてよみがえらせる「べーすぼーる精神史」。そのエッセンスを紹介しよう。


・1896年、明治29年5月23日。ここで、日本の野球史の一ページを飾る“国際試合”がおこなわれた。この日、雨あがりの新緑がひときわ鮮やかなグラウンドに姿を表したのは、横浜在住のアメリカ人チーム「横浜アマチュアクラブ」と第一高等学校野球部の選手たちであった。9回を終わって29対4。一高は、ついに25点という大差で横浜外人チームを下した。


・この見事な勝利に狂喜する学友らは、試合後、人力車を手配して選手たちを横浜駅まで送るとともに校長や全国の各高校に電報を打ってこの勝利を伝えた。そして、一高に先に到着した学友たちが校門に火を灯して選手たちらを迎え、つづいて校庭で学生総代が、今日の勝利は「単に我が校の勝」ではなく「邦人の勝と称する」べきものであると勝利を称え、さらに野球部長も今回の試合が「国名」をかけたものであるとのべ、選手たちの労をねぎらった。そして興奮さめやらぬ彼らは、天皇陛下万歳、第一高校万歳、野球部万歳を唱えていったん解散したあと、祝賀会に移った。対横浜外人戦での勝利は、まさに日本の野球史上画期的な事件であった。それは、正岡子規が、「近時第一高等学校と在横浜米人との間に仕合(マッチ)ありしより以来ベースボールといふ語は端なく世人の耳に入りたり」と書いているように、野球を日本国民のあいだに知らしめる巨大なインパクトとなったのである。


いや〜、黎明期の野球界で圧倒的な役割を果たしたのが、旧制一高の野球部であったということは驚いたなあ!だから東京六大学野球には東大が入っているのかもしれないなあ。

120年も前の出来事なんてシンジラレナイねえ。やっぱり野球はいいなあ。オススメです。(・∀・)