「てるてるソング」 小野塚テルの一日一冊一感動『感動の仕入れ!』日記

毎日の読書、映画、グルメ、流し、人との出会いなど様々なものから感動を得ています。特に本は年間300~400冊読破します。人々を『感』させ『動』に導き、『感する人』になるようにそのエッセンスを紹介しています。

「プロ野球と鉄道 新幹線開業で大きく変わったプロ野球」(田中正恭)

 


プロ野球と鉄道: 新幹線開業で大きく変わったプロ野球 (交通新聞社新書)


今年もセ・リーグ広島の優勝、しかも3連覇だよね!……我がジャイアンツは3位…といっても5割いってないんだからサビシイせいせきじゃあ……。もうすぐ野球も終わる。サビシイねえ。(・∀・)


さてこの本。「交通新書」シリーズはユニークな視点で実にオモシロイんだよね。


「かつて多くの球団を鉄道会社が保有していたように、古くから密接なつながりがあるプロ野球と鉄道。チームの遠征においても鉄道は必要不可欠で、新幹線の開業による所要時間の短縮は革命的な出来事だった。本書では、黎明期から現在までのプロ野球と鉄道の関わりについて、各種資料を検証・考察するとともに、現在球団を保有する阪神電鉄西武鉄道の取り組みなどを紹介」そのエッセンスを紹介しよう。


平成の世も間もなく終わろうとしている昨今、昭和は遠くなったと感じる。昭和の末期にパ・リーグには、阪急、南海、近鉄と、関西に鉄道系の3球団があった時代を知らない世代が増えている。阪急ブレーブス西鉄ライオンズが3年連続で日本一に輝いたことも、JRの前身である国鉄がスワローズというチームを持っていたことも、歴史の彼方へと遠ざかろうとしている。


・陸蒸気が初めて汽笛を鳴らし、新橋〜横浜間に鉄道が開通した明治5(1872)年にアメリカ人教師、ホーレス・ウィルソンが日本人に初めて野球を教えたと伝えられている。つまり、鉄道と野球は我が国において同じ年に伝来したのである。以来145年の長きにわたり、鉄道と野球は、日本人の生活の中に定着し、互いに深く関わり合っている


プロ野球には遠征がつきもの。旅客輸送に飛行機が一般的でなかった昭和初期は、遠征はすべて鉄道に頼るしかなかった。それも長距離の移動は夜行列車が当たり前の時代だった。数多くの球団が帯同して同じ地域に遠征し、日ごとに対戦カードを変え、あるいは、一日に2〜3試合の異なるカードを同じ球場で行った時代もあった。当時は移動が容易ではなく、効率的に試合数を消化するには、その方法が最も合理的であったからだ。


・休む暇もなく次の遠征先に向かうため、夜汽車に揺られたのである。特に西鉄や広島の選手たちにとっては、遠征距離の長さが物理的に大きなハンデとなっていた。そして昭和39(1964)年に東海道新幹線が、昭和50(1975)年に山陽新幹線が博多まで全通して、遠征による移動のストレスが大幅に軽減された。これによってプロ野球の日程にも大きな変化をもたらしたのである。飛行機が発達した現在でも、新幹線抜きにプロ野球の遠征は成りたたない


別々のカードの試合が1日3試合も同じ球場で行われていた。当時は試合時間が2時間前後と、今よりずっと短かったとはいえ、まだ夜間照明設備もなかった時代なので、第一試合の試合開始は午前中だった


「黎明期の職業野球」「昭和の遠征事情」「東海道新幹線の開通と読売ジャイアンツの9連覇」「鉄道会社のプロ野球チーム」「東京セネタース=旧西武鉄道が出資した幻の球団」「広島東洋カープと鉄道との密接な関係」「かつては3等車に新聞紙を敷いて寝る苦行」「12球団の本拠地球場と鉄道」「かつての名選手に聞いた“プロ野球と鉄道”(金田正一、古葉竹織、佐藤道郎、今井雄太郎屋鋪要)」など。


広島が強くなったのと新幹線の開業が密接な関係があるなんて、信じられないけどこれも事実。これはスゴいことだね!野球ファンと鉄道ファン必読っ!オススメです。(・∀・)


 


プロ野球と鉄道: 新幹線開業で大きく変わったプロ野球 (交通新聞社新書)