「てるてるソング」 小野塚テルの一日一冊一感動『感動の仕入れ!』日記

毎日の読書、映画、グルメ、流し、人との出会いなど様々なものから感動を得ています。特に本は年間300~400冊読破します。人々を『感』させ『動』に導き、『感する人』になるようにそのエッセンスを紹介しています。

「あと千回の晩飯 山田風太郎ベストセレクション」

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先月誕生日を迎えて57歳になった。父が69歳で亡くなったのでそこまで生きるとしてあと12年!一回りかー!!!あと何回メシを食べられるんだろう!?とか漠然と考えているときに出会ったのがこの本。(・∀・)

 

「老境の卓見に満ちた傑作エッセイ!老いること、生きること、死ぬことを独創的に、かつユーモラスにつづる。風太郎節全開のエッセイ集」そのエッセンスを紹介しよう。
 
いろいろな兆候から、晩飯を食うのもあと千回くらいなものだろうと思う72歳になる私が、漠然とそう感じているだけである。病徴というより老徴というべきか。野球の王、長嶋も終わりの二、三年「こんなはずではないが……」というこの狼狽が見られたし、相撲の北の湖にも同様の現象が見られた。超人的な人間ほど自分の力の衰えに対する狼狽が甚だしいようだ。
 
志ん生は83歳で死んだ志賀直哉はまだそれほど衰えないときに「不老長寿という。不老で長寿ならいが、老醜をさらしての長生きはいやだね」といった。それから88歳まで生きた。
 
・世間ではちょっと長生きするとすぐに「人生の達人」などと呼ぶ。四、五年他人より長生きしたところで、どうして「人生の達人」などのなれるものか。そもそも70歳を超えて、めぐり逢う事件や状態は、その年齢においてみな初体験なのだもっともそれに昂奮する元気は失われているだろうが。それでも70を超えると以外に思ったことはある。それは老境に至って、案外寂寥とか焦燥とかを感じないことだ。むしろ心身ともに軽やかな風に吹かれているような感じになったことだ。
 
ワタシもずっと少年のころから基本的には変わらない気がする。(笑)あと何回メシ食えるかなあ……何回飲めるかなあ……!?(笑)オススメです。(・∀・)

 

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