ワタシの母校の明治大学農学部。有名なのは何と言っても、冒険家の植村直己大先輩。映画で植村直己さんを演じた西田敏行大先輩。そしてジャイアンツのV9戦士の高田繁大先輩。そして大後輩では向井理(当然、呼び捨て(笑))妹分の山本美月。(笑)……そして尊敬するワタシの兄、小野塚秀敏、そしてずーっとオチコボレの小野塚テル……(笑)
さてこの本。「孫を連れての寄席通いが楽しみだったワンマン宰相、研究に日夜没頭し骨と皮にやせてしまったノーベル賞受賞の科学者、仕事一途のため孫の名も忘れてしまう経営の神様…。妻や子、孫、兄弟など血族だからこそ語り得る「昭和の巨人」60人の人間くさいエピソード、意外な素顔、とっておきの話。文芸春秋読者賞受賞」その中でも、我が明治大学農学部出身の大先輩、冒険家の植村直己さんの章を紹介しよう。
「植村直己 「行ってくるよ」が最後の言葉」 (植村公子)
植村が冒険に行くのは、誰のためでもなく、 自分が行きたいからなんですよね。だから私としては、 どうか他人さまに迷惑をかけないで欲しいといいう気持ちで、 彼を送り出していたんです。だって、 結局は他人さまのカネで遊びに行ってるわけでしょ。私も、 世の中にこんな暮らしがあるのか、とビックリしたんですよ。 食べることは、後からついていた、という感じでしたね。私は、 困った人だな、まるでヤクザじゃないかしら、 ととても恥ずかしかったんです。でも、一面、私は「ようやるわ」 とも思っていました。
冒険に行く前ですか?そうですね、出発の前の晩、私は「行くの、 やめとけば」というと、彼も「そうしようか」というんですよ。 ところが翌朝起きてみると、そんなことは忘れてしまって「 じゃあ、行ってくる」と出ていくんです。考えてみると、 悲愴感を二人で心の中に隠していたのかもしれませんね。 帰ってきても、彼は家に着くと「終わったよ」と一言いうだけ。 私も「お帰りなさい」というだけで、 旅の話を二人だけでするというようなことはなかったんです。 どんな旅で、どんな目に遭ったか、というようなことは、 他人さまが彼を尋ねて来て、それを傍で聞くだけでした。
マッキンリーへ行った時ですか……あの時も彼は「行ってくるよ」 と一言いっただけ。私も「行ってらっしゃい」と見送って…… 今思い返しても、特別、胸騒ぎがしたとか、何もなかった。 全くいつも通りでした。遭難の知らせの電話で、私、 一時間ぐらい動けなかった…… 家の中が本当にシーンとして一時間ぐらい動けませんでした。「 今度はダメかな」と思ったんです……。 そして彼の絶望がハッキリしてから記者会見に臨んだんです。 そこで私は彼のことを「だらしないじゃないの」 とか言いましたが、会見の前、一番、思っていたことというのは「 ついに、みんなに迷惑をかけちゃったな」といことでした。 だって彼がやったことというのは、お国のためじゃなくて、 自分で遊びに行ったんですから。死んだって、 どうにも仕方がないなあという気持ちでしたね。
彼との結婚生活は、ちょうど十年でした。一言でいえば、 植村という人は、面白い人だったなあという感じでした。あの人、 実はノロマだったんですよ。ですから自分一人でやるのには、 ちょうどいい頃にいたんだ、とつくづく思うんです。
やっぱり昭和は良い時代だったねー。平成も過ぎ、令和だもんねえ…時代を感じるね。オススメです!(・∀・)