「てるてるソング」 小野塚テルの一日一冊一感動『感動の仕入れ!』日記

毎日の読書、映画、グルメ、流し、人との出会いなど様々なものから感動を得ています。特に本は年間300~400冊読破します。人々を『感』させ『動』に導き、『感する人』になるようにそのエッセンスを紹介しています。

「感動と創造の経営 ヤマハの企業文化とCSR」(志村和次郎)

中学生のときに憧れたヤマハのフォークギター。あの独特のシェイプとピックガードのカタチがとてもかっこよかった〜!(・∀・)



しかしようやくヤマハの銘器・FG500とFG140を入手したのは40歳過ぎてからだったけどね。そして数々の名曲とミュージシャンを世に送り出した「POPCON」。どれだけ影響を受けたか知れない。そう、ヤマハは世界に誇るブランドでもあり、私の憧れでもあるのだ。(・∀・)


そのヤマハはどのようにして誕生したのだろうか!?


「国産初のオルガン、国産初のピアノから始めて、さまざまな楽器を世に送り続けて、日本の音楽教育、芸術に計り知れない貢献をしたヤマハ。創業者・山葉寅楠と中興の祖・川上嘉市が築いた「創造と感動」の企業理念。それを引き継いでオートバイ、ボート、ヨット、船外機、自動車、特殊金属などの多角化で、世界企業にまで押し上げた川上源一たちのものがたり」そのエッセンスを紹介しよう。


・明治期の個人事業家の多くは、現代流のベンチャーと変わらず、維新期の政治経済体制の激動する中、リスクに挑戦し、自己の創意・工夫で培った技術、製品をもって、史上の展開した、いわば裸一貫から積み上げた創業者でした。それら先人の中で、オルガン製造から起業したヤマハ創始者・山葉寅楠により、楽器産業が始まり、その後、挫折の危機を乗り越え、現代のヤマハグループの事業基盤の成功につながった奇蹟に迫ってみようと思います。



・山葉寅楠は、紀州(現在の和歌山県)徳川藩士で、天文係をしていた山葉幸之助正孝の次男として嘉永四年に紀州藩邸で生まれました。山葉姓は正式には山羽(やまば)姓が正しいようです。正孝は藩世襲の天文係で、地図の作成や名橋の架設、カラクリ人形の考案などの精通し、武士というより優れた篤学の技師でした。したがって家の中には天体観測や土地測量に関する書籍や器具などがたくさんあり、こうした環境のなかで寅楠は、幼少期から父の影響を強く受けて育ちました。自然に機器類に関心を持ち、自らも制作意欲をもつようになります


・17歳の時、武士を棄て、時計商の徒弟になり、長崎で時計製造を学ぶ。そして医療機器の修理のため浜松の病院を訪れたのがきっかけでこの地に逗留することになる。


・時はまさに日本の音楽教育の黎明期。1886(明治19)年より小学校教育に唱歌が必須科目となったため、浜松尋常小学校(現在の元城小学校)の唱歌科に、アメリカのメイソン社製のオルガンが導入されたのです。当時、西洋楽器は高価な輸入品で、米一斗が一円の時代に45円もした高級品でした。ところがを使用して二ヶ月後、そのオルガンが突然故障して鳴らなくなってしまったのです。校長がなんとか修理できないものかと困っていたところ、適任者として推薦を受けたのが山葉寅楠でした。寅楠は、慎重に分解しながら故障の原因をすぐに発見しました。故障の原因はバネが二本破損していただけだったのです。


「これくらいのオルガンなら、自分は三円でつくる自信がある。将来、オルガンは全国の小学校に設置される。そうなれば日本はつねに高額な外国製品を輸入しなくてはならない、オルガンの国産化は日本の国益につながるはずだ」その日から山葉はせっせと学校へ通い、筆と紙でオルガンの各所をていねいに図面を書き写し始めました。とうとう半月間を要して、数十枚の図面にまとめました。もちろん、バネの修理もでき、オルガンも元通り、美しい音色が復活し、校長以下から皆から感謝の言葉を受けました


・この天才的な技術者の山葉は、このオルガンの修理と図面の作成作業で、その構造と製作法を理解し、生涯の仕事としてオルガンの製作を決意しました。しかし、当時、製造材料は何一つ容易に手に入れることができなかったので、製造は苦心惨憺でした。


明治31年には社章を「音叉を加えた鳳凰図」に定めました。意味するところは「技術・製造・販売」の三部門の水も漏らさぬ協力体制を意味しています。音叉で象徴される楽器を中心に、世界に伸びゆくヤマハのたくましい生命力を表すマークです。また、音楽のメロディー、ハーモニー、リズムの三つの調和を表すという意味にも使われます。


その他、「オルガン完成まで関口隆吉・伊澤修二の二人の恩人」「山葉風琴製造所を起業」「山葉寅楠と河合小吉との運命的出会い」「河合楽器製作所を設立」「成功ベンチャー・日本楽器、挫折の危機」「未曾有の大労働争議はなぜ起こったか」「経営危機を救った第二の創業者・川上嘉一」「閃きと感性の経営を実行した川上源一」「次代の夢を託されたヤマハ発動機の挑戦」など。


いや〜しらなかった。この壮大なドラマ!あらためてYAMAHAが好きになりました。オススメです。(・∀・)