先日、このブログでも紹介した傑作本。累計約1000万部を誇る『三省堂国語辞典』の生みの親。見坊豪紀(けんぼう・ひでとし)ケンボー先生。戦後最大の辞書編纂者でもあり、「辞書になった男」としても有名だよね。
「辞書になった男 ケンボー先生と山田先生」(佐々木健一)
http://d.hatena.ne.jp/lp6ac4/20171118
辞書以外の著作があるとは知りませんでした。「揺れる日本語……ことばはいつ変わり、どのように変わるのか。「ことばの狩人」が追い続けた豊富なデータ」そのエッセンスを紹介しましょう。
・私は目の前のふつうの日本語を、できる限りありのままに網に入れ、それらが生きて動くありさまを観察しようとしています。それも大局観に概観しようというのではなく、波頭がまさに崩れ落ちようとするときのさまざまな変化、いわば先端的な現象といったところをすばやく写し取ろうとしています。
・長年にわたる用例採集を通じて得た言葉に対する私の感想は、次の三点に要約されます。
ことばは目の前で音もなく変わる。
ことばの変化は小さな部分から始まる。しかもたくさんの小さな部分から始まる。
ことばの世界は、常に個人の体験と想像を超えて広大、かつ変化に富む。
・毎日毎日ことばの用例採集を続けることは、まさにことばの海をゆくという感じです。一つ一つことばの波をかきわけしぶきをあびながらひたすら先へ進む、そんな感じです。つぎつぎの現れることばのうずしおに気づいた以上、好ききらいや良しあしなど言っているひまがありません。とにかく採集です。目にとまった以上、何かひきつけられる理由があってのことに違いない。その何かを検討する前に、とにかく採集する。いらなければあとで捨てればよい。そんなこんなで明け暮れる私の立場は、いつか、まんべんなく、多焦点でことばを見るようになったと思います。
・カルピスのキャッチフレーズとしてあまりにも有名な「初恋の味」。これは“ ハツゴイノアジ ”と読んだのだそうです。(「週刊朝日」昭和37年7月13日号26ページ)また日本楽器製造のピアノの「山葉ピアノ」。これも発売当初はYAMABAと書き“ ヤマバピアノ ”と呼ばれたそうです。(「東京新聞」昭和38年1月19日夕刊8面「百鬼園随筆」内田百輭)私は“ ハツコイノアジ ” “ ヤマハピアノ”と読むので、ハツゴイと聞くと、「初鯉ってなんだ」と聞きたくなります。
・戦後は「サマー」と「サンマー」があります。これも両方ありましたが、デパートでは夏の売り出しを「サンマー・セール」と称していました。「サンマー・タイム」(夏時間)「サンマー・セール」という、女性が夏に着るダスターコートもあったし、「サンマー・スクール」もありました。いま、どこに行っても「サンマー」に出会わないことは、みなさんご承知のとおりです。
・明治34年に「とても寒い」という言い方をすることは、若き日の柳田国男翁がみずから「飛び揚がるほど驚いた」と書いたくらい珍妙な日本語でした。また慶応大学名誉教授池田潔氏のように、子どものころ「とてもおもしろい」などと絶対に言ってはいけない、とやかましくしつけられて育った人もいます。芥川龍之介は随筆「澄江堂雑記」の23節と27節で、数年前から「とても寒い」などという新しい言い方が「東京の言葉になり出した」と言っています。昭和17年ごろでさえ、東京大泉師範附属小学校では「とてもおもしろい」などと書いた作文をいちいい「たいそう」「たいへん」と添削していたそうです。(福田秀一氏の体験談)
「義理のいとこ?義理のおじ」「着ないまま?達しないまま?」「おし迫る?おし詰まる?」「通りがかる?通りかかる?」「着がえる?着かえる?」など。
オモシロイなあ。コトバって変わるんだね。絶版だけど、オススメです。(・∀・)