「てるてるソング」 小野塚テルの一日一冊一感動『感動の仕入れ!』日記

毎日の読書、映画、グルメ、流し、人との出会いなど様々なものから感動を得ています。特に本は年間300~400冊読破します。人々を『感』させ『動』に導き、『感する人』になるようにそのエッセンスを紹介しています。

「あの日、野球の神様は“背番号3”を選んだ 天覧試合昭和34年6月25

お正月三が日は、私の大好きなプロ野球に関する本を紹介しましょう。(・∀・)

時々、テレビで、ミスタージャイアンツ長嶋茂雄サヨナラホームラン「天覧試合」についての映像が流れるけど、私が生まれる5年前、昭和34年6月25日。この日のことを詳しくは、知らない。実は、プロ野球の隆盛はこの日からはじまったのだ!試合実現に向けて奔走した裏方たちと出場した選手たちが織りなす人間ドラマとは―。 そのエッセンスを紹介しよう。


・シベリア抑留を経験した水原茂巨人監督と、日系2世のカイザー田中(田中義雄)阪神監督は、極度の緊張状態に襲われ、まるで棒でも呑んだかのようであった。明治42年生まれの水原は、感無量の面持ちだった。当日、彼は午前中に2回も風呂に入り、水垢離を取った。後楽園球場は満員。戦前は巨人対阪神といえども、観客は2,3千人。ところが、この日は2万人以上の観客が詰めかけていた。大きな感動が水原の全身を包んだ。


「我々の世代にとって、天皇陛下は特別なお方です。必死に顔を上げようとしても上がりません。このは私たちの世代から上の人にはわかってもらえると思います。だから、このときも、ロイヤルボックスを直視できませんでした、精神状態がいつもと違いました。最後の最後まで、鳥肌が立ったまま投げ続けました」昭和6年生まれの藤田元司



天皇陛下は前日午後、戸田康英侍従から、野球のルールに始まり、選手の名前や特徴に至るまで、約1時間半にわたり、レクチャーを受けていた。天皇陛下は下問した。「野球の醍醐味は、やはりホームランですか?」戸田侍従は頷き、ホームランを打ちそうな選手をあげた。その中に、長嶋の名前があったのはいうまでもない。


・サヨナラホーマーが飛び出したのは、午後9時12分。天皇陛下が席をお立ちになる3分前であった。3分前の奇跡というしかなかった。


この日の緊張感がひしひしと伝わってくる…すべての野球ファン必読です。オススメです。(・∀・)!