「てるてるソング」 小野塚テルの一日一冊一感動『感動の仕入れ!』日記

毎日の読書、映画、グルメ、流し、人との出会いなど様々なものから感動を得ています。特に本は年間300~400冊読破します。人々を『感』させ『動』に導き、『感する人』になるようにそのエッセンスを紹介しています。

「まぼろし小学校 ことへん」(串間努)

またまた全作品読破を狙っている串間努氏の懐かし本シリーズ。今度は、小学校の「ことへん」だよー!(・∀・)


「運動会に日曜参観、読書感想文コンクール、禁止されていた登下校の時の“買い食い”、「赤」以外もたくさんあった募金の羽根の色…。あの“学校の怪談”のルーツから遠足にもっていくおやつ金額の変遷、恥ずかしかったギョウ虫検査方法いろいろ、さらに皆で歌った替え歌歌詞、給食の献立の移り変わりな ど、昭和の小学生を完全保存」そのエッセンスを紹介しよう。


帰りの会で先生は言った。「買い食いをして帰ってはいけません」。昭和40年代は子どもに対する「禁止」が多かった。たとえば大阪のある先生は「コーラは骨を溶かすから飲まないように」と指導していたという。


転校生が来ることは大きな出来事だった。方言を生で聞いたときは単純にびっくりしたし、体操服など持ち物が微妙に違うのも首をひねることだった。そして地元の子どもが知らないいろんな遊びやいたずらを教えてくれたのも彼らである。子どもが行う外遊びやことば遊び、替え歌が地域を超えて共通している現象がある。もちろん微妙にフレーズやルールが違うなどのバージョンの違いはある。インターネットもない時代だし、テレビで紹介するネタではないし。それはまるでミツバチが花粉を媒介するように、転校生が転校先の学校で、自らが知っている遊びや言葉を伝授したのではないか。


・小学校三年生のとき、ユウジ君は真っ先に「けいじがかり」に手を挙げたことがあった。立候補するやつはなかなかいなかったのでみんなで「すげえすげえ」と あおっていた。彼は桜木健一主演のTVドラマ「刑事くん」に憧れていたのである。その係の仕事が、画鋲で絵や習字を『掲示』することと知った時の落胆といったら。学級に「刑事係」があるわけないだろうと思ってはいけません。子どもは突拍子もない発想なのだ。


高学年の時の放送委員会はステータスであった。お昼の校内放送をしなければならないので、給食の時間は日直が放送室まで運んでくれる。これがウレシイ。冬はストーブがあるので食パンの時はトーストにすることも出来た。これも他にはない特権であった。


ギョウ虫検査テープ「ポキール」を「使う時の姿勢」として、羽根のあるキューピーがしゃがんでお尻に手を当てているイラストが。みなさんの脳裏に強く刻み込まれているあの絵である。30年経った今も私の脳裏に焼き付いているほどのインパクトがあった。キールは、外国で使用されている二つの名前(POVANとVANQUIN)から合成した名前である(三共広報部の話)



・高学年の頃に「ナンセンスなぞなぞ」が流行ったことがあった。誰が始めたのかしらないけど従来のナゾナゾ感覚を覆す凶悪なものだった。


問「十人乗りの船に二十人乗っているのはな〜んでか?」

答え「十人が交互にジャンプして乗っていた」


問「電線にスズメが三羽止まっていました。漁師が鉄砲を撃ったら二羽落ちて、一羽残りました。何ででしょう」

答え「根性があるスズメだった」or「音が聞こえなかった」


その他、「校門前の怪しい行商人列伝」「歩道橋や通学路が次々にできていく」「黄色くなる小学生」「貧乏大臣大大臣、あきすとぜねこ」「日曜参観に来た父の思い出」「ビリジアンとぐんじょう」「運動会のお弁当」「検便とギョウ虫検査とは別物なの?」「ソーダ村大作戦」「教育実習生はぼくらのお姉さん」「遠足バスで補助席になる子の気持ち」「おやつの会計検査院」「小学生のバレンタイン」などなど。


懐かしいねー!タイムマシンがあったら、戻ってみたいねー。オススメです。(・∀・)