小学生低学年の頃、初めて読んだ手塚作品は「火の鳥」。あまりのスケールにデカさに子どもながらビックリした。そして少年チャンピオンの「ブラック・ジャック」そして少年ワールドの「ブッダ」!!!大人になってからは「アドルフに告ぐ」「陽だまりの樹」「ルードヴィッヒ・B」「きりひと讃歌」など、名作揃い!(・∀・)
・文字は、人間が学習して得るものだ。しかし、絵は、 文字を知らない幼児でも描いている。絵はなにより意志の疎通、 表現に役立つ。しかもかんたんな略画で間に合うのである。 お先真っ暗で、不条理で、 そのうえ不安定な現代生活の中に抑圧され、鬱積したものを、 いちばん手つとり早くいちばんはっきり周囲に訴える手段…… それは、結局、漫画とよばれている表現法ではないかと思うのだ。
・ぼくのペンネームに「虫」がついているのは、 オサムシという虫の名を借りたものである。 小学五年生のときつけたのだ。当時のぼくは、 徹底した昆虫マニアであった。ところが、 これを相手がなかなかそう読んでくれなくて閉口した。 ぼくへの手紙の宛名も「治虫」と書いてくれずに、たいがい「 治忠」と書いてくるのである。ひどいのになると「手塚泣虫」 と書いたのがあった。いくら税金では泣かされているとはいえ、 泣虫というのはひどい。差最近、 久しぶりに宝塚遊園地の昆虫館を訪れたら、 陳列室のオサムシの標本棚の所に、 見学に来た学生のしわざででもあるのか、万年筆で「手塚」 と落書しているのを発見した。光栄至極でった。
漫画は子どもの心を明るくする。
漫画は子どもの心を楽しくする。
だから子どもはなにより、漫画が好きだ。
だから「漫画少年」は子どもの心を明るく楽しくする。
「漫画少年」には子どもの心を、清く、正しく育てる、 小説と読み物がある。
日本の子どもたちよ、「漫画少年」を読んで、 清く明るく正しくのびよ。
・「先生、えらい天才が京都で見つかりましたぜ」 そのえらい天才というのは、 京都の新聞に大きく紹介されたモリミノルという、 京大生であった。どんなすばらしい漫画なのか見たかった。だが、 残念ながら、モリミノル氏は、 不二書房の近刊広告に名前を出したきり、作品も見せてもくれず、 そのまま写楽のようにフッと消息を絶ってしまったのである。 そして、十数年のたってから、かれは、 SF小説ファンの前に突如として現われたーSF作家、 小松左京と名のって……。
・ぼくは、 大阪大学で医学の勉強もそっちのこえで漫画を描いていた。 やがて臨床実習が始まって、われわれは、予診をとらされる。 患者がぼくの前にすわると、どうも、 その患者の顔が漫画に見えてきて、 似顔を描きたくて描きたくて我慢がならなかった。 教授がぼくを呼んで「手塚君、君は、このまま医者をつづえても、 ろくな医者にはなれん。必ず患者を五、六人は殺すだろう。 世のためにならんから医者をあきらめて、漫画家になりたまえ。 これは、君への忠告だ」
・編集者仲間では、ぼくのことを陰で、手塚おそ虫( 原稿がおくれる)とか、手塚うそ虫( 締め切り通りに描きますと約束しては、ちっとも守らない) とか呼んだ。
やっぱり手塚先生は偉大だー!!!文章もいいよね。漫画ファン必読っ!オススメです!(・∀・)