「てるてるソング」 小野塚テルの一日一冊一感動『感動の仕入れ!』日記

毎日の読書、映画、グルメ、流し、人との出会いなど様々なものから感動を得ています。特に本は年間300~400冊読破します。人々を『感』させ『動』に導き、『感する人』になるようにそのエッセンスを紹介しています。

「漢字廃止で韓国に何が起きたか」(呉善花)


韓国の学校教育で漢字廃止・ハングル専用政策がとられるようになったのは、1968年春から。漢字廃止政策以後の韓国では、教科書をはじめ、新聞・ 雑誌・書籍からレストランのメニューなどに至るまで、漢字はほとんどその姿を消してしまった。そのことで何が起きたのか?そのエッセンスを紹介しよう。


日本で、いきなり漢字廃止・仮名専用政策がとられたら、いったいどんなことになるだろうか。とうてい想像もつかないことに違いない。韓国ではまさにそうした事態が起きたのである。それが漢字廃止・ハングル専用政策である。


・私は日本語を勉強してくいく中で、漢字の「文化力」の偉大さを思い知ることになった。と同時に、漢字廃止によって韓国の文化・社会にどれほど大きな弊害がもたらされたのかを徹底的に知らされることになった。漢字廃止は文化破壊以外の何者でもない


・漢字は日常的にはあまり使われない。しかし概念や理念を表す言葉、各種の専門用語など、伝統的に看護で表されてきた需要な言葉の多くが、一般には次第に使われなくなっていった。各種の評論・研究論文や新聞・雑誌の記事に、総じて書き言葉の世界に、語彙の恐ろしいまでの貧困化がもたらされたのである。とくに文学の面では、散文でも詩文でも、伝統的にあった豊かな大部分を失ってしまった。


漢字廃止以前の韓国語は、韓国人に独特な感性や情緒、価値観や発想、論理の道筋などを、いまよりも数段豊かに表現することが出来た。漢字廃止で失った最大のものは「概念を用いて抽象度の高い思考を展開すること」だ。


・漢字学者の白川静氏は「漢字は国字である」といった。それは日本が漢字を日本化していったからである。韓国には、漢字は国字だという考えがなかった。だから廃止することができたのである。


もし、韓国で本格的に日本並みの漢字教育が行われるようになったとしたら、私は韓国が根本からゆるがす一大革命をもたらすことになるかもしれないと思っている。


・すぐに気づかれる問題点は「それで同音異義語の区別はできるのか」ということだと思う。もちろんできない。たとえば、平仮名だけで「わたしのいえには、にちろせんそうのせんきがあります」と書けば、「せんき」は戦記なのか戦旗なのかわからない。こうして漢字の語彙が少なくなり、法律書などで、「せんきでは…」などどあっても、大部分の国民にはなんのことがわからなくなってしまう。漢字教育を受けたせいぜい一割の程度でしかない、ということになっていく。こういう事態が、韓国では現実に進んだのである。恐ろしいのは、意味不明の言葉を読み飛ばすことが習慣となること、そして自分の知らない漢字語がちょくちょく出てくるような書物や雑誌を読まなくなってしまうことである。


十六年もの間勉強をしてきて、自分の国の言葉で書かれた新聞すらまともに読めない者など、人類の歴史上どこにも探すことができない。現在の地球のどこにもいない。我が民族文化は、漢字と漢字語を基盤につくられて発展してきた。漢字を廃止することによって、数千年続いてきた固有文化は、その伝統が断絶するだろう。


・私の知る韓国のご老人のなかには、「韓国語では難しいことは考えられない。考えようとすればどうしても日本語になる」といわれる方が何人もいる。いまや私も完璧にそうなっていた、小説ならば韓国語の方が速く読めるが、専門書は日本語の方が数段速く読める。


韓国人は教育熱心で知的レベルの高い人たちだといわれることがよくあるが、それはまったくあたっていない。私は日本に来てからも韓国で出版される書物や雑誌の文章をことあるごとに読んできているが、そのほとんどが「足が地についていない」ものばかりだというしかない。叙述は現実から遊離して具体性に乏しく、主張は明らかの何かの共同の幻想に酔っていることを感じさせる、といったものだ。また私の世代以降のハングル世代の者たちと話していると、上の世代の方によりいっそう高い教養と深い見識の持ち主がいると感じざるを得ない。そして、日本人と話していればいるほど、韓国人のものの考え方がいかに単純かつ浅いものかと思い知らされる。とくに若者であるほどそうなのだ。


へー、そうなんだ…漢字復活してほしいねえ。オススメです。(・o・)