「てるてるソング」 小野塚テルの一日一冊一感動『感動の仕入れ!』日記

毎日の読書、映画、グルメ、流し、人との出会いなど様々なものから感動を得ています。特に本は年間300~400冊読破します。人々を『感』させ『動』に導き、『感する人』になるようにそのエッセンスを紹介しています。

「「動く大地」の鉄道トンネル 世紀の難関「丹那」「鍋立山」を掘り

この本はスゴイ!感動した!私たちがこの便利な暮らしを陰で支えている人たちの血と汗と涙と努力が伝わってくる!(T_T)

世界屈指の難工事だった東海道線丹那トンネル新潟県北越急行ほくほく線立山トンネルの工事記録から、技術者たちの苦闘とそれを乗り越えた技術力、人間力をクローズアップしている。そのエッセンスを紹介しよう。


・日本には世界に冠たる土木技術があります。国土の6〜7割が山地という我が国では鉄道や高速道路を建設しようとすれば、どうしても必要となるのがトンネルです。どれをとっても楽に掘ったものなどひとつもありません。技術が未熟だった頃は痛ましい犠牲を出すことが避けられませんでした。尊い人名の犠牲の上に不屈の魂で掘り抜いたトンネルの代表が東海道本線丹那トンネルです。大正7年の着手から16年、昭和9年に完成しました。これは世界のトンネル史上屈指の難工事でした。


・「このトンネルのように各種の困難な条件が幾重にも重なったことはこれまでのトンネル工事ではなかったことである。日本人は意志の強い民族である。日本人技術者たちは、一度着手したからには、どんな困難にぶつかろうが、このトンネルは最後まで掘り抜くものと決心を固め、そのとおり、不屈の精神で遂に勝利した。しかし、そのために70人からの生命と、莫大な工費を犠牲にせざるをえなかったのある」(アメリカのトンネル工学の権威アーチバルド・ブラック)


・アーチバルドは、丹那トンネルは掘るのが間違いだった、と暗に結論づけています。立山トンネルはどうだったのでしょうか?この10キロに満たないトンネルは、掘り始めてから完成するまで休止期間を含めて22年かかっています。あまりの難工事に、ある地質学者は「これは掘ってはならないトンネルです」と言いました。至言です。しかし、日本の鉄道の宿命は、トンネルを掘ってはならない地山に、どうしても掘らなければならないようなことがしばしばあることです。鍋立山トンネルなまさにそのひとつでした。中工区と名付けられた区間の、わずか645メートルの部分が、トンネル掘削史上に名を残すおそるべき難関となったのです。それは空前絶後と形容しても言い過ぎにはならない悪夢の現場でした。鍋立山トンネルは、トンネル技術者たちの不屈の努力によって遂に貫通します。それは、日露戦争のときの203高地を巡る決戦にも似た、地山との凄まじい戦いです。相手は人間ではなく山でしたが、掘れば掘るほど抵抗の力を増して反撃してくるのですから、まるで山が人間に悪意を抱いているかのようにさえ思われました。


・私は、日本の国土ゆえの困難に正面から立ち向かってきた技術者たち、普通では不可能と思われる難工事を、創意、工夫、科学知識と不屈の闘志をもって成功させてきた人々に賞賛を惜しまないひとりです。トンネルは出来上がってしまえばみな同じように見えます。橋梁には目に見える形あり、造った人の個性が出ますが、トンネルにはそれがありません。そこにあるのが当たり前でという扱いで、掘るときの苦心など誰も考えたりしません。鍋立山トンネルも列車は4分に満たない時間で通過していしまいます。アナウンスもありませんから、気付きもしません。丹那トンネルの熱海口(東口)を請け負った鉄道工業合資会社の菅原恒覧(つねみ)は、東海道本線に乗って列車が丹那トンネルに入ると必ず座席の上に正座して工事の犠牲者の冥福を祈ったと伝えられています。


・実は、トンネルを掘ることは、恐怖との戦いです。深い地面の下は完全な暗黒の世界です。その先に何があり、そこがどんな構造になっているのか誰にもわかりません。科学知識が幼稚であった頃はなおさらそうでした。それでも、近代社会の強い要請に応えるべく、トンネル屋たちは未知の間との不屈の闘いに挑み、怯むことなく戦い続けてきたのです。多くの痛ましい犠牲を出しながら…。


日本の土木技術ってスゴイ!そして数多くの犠牲者の方に合掌。オススメです。