「てるてるソング」 小野塚テルの一日一冊一感動『感動の仕入れ!』日記

毎日の読書、映画、グルメ、流し、人との出会いなど様々なものから感動を得ています。特に本は年間300~400冊読破します。人々を『感』させ『動』に導き、『感する人』になるようにそのエッセンスを紹介しています。

「日本語の年輪」(大野晋)

昔から日本語についての本が好き。この本はその昔、高校生くらいの時だろうか、あまりに感動に、次のページをめくれなくなったというエピソードがある。つまりそれくらい感動した本なんだけど、数十年ぶりに読んだけどやっぱり感動っ!大野晋センセイのいる学習院に憧れたなあ。そのエッセンスを紹介しよう。


・「お菓子をあげる」とか「お菓子をくださった」という言葉を耳にする。子供は「あげる」という言葉が敬意をこめた表現だとは、はじめのうちは気づかない。また、「お菓子をくださった」といえば、その相手は自分より上の人なのだとも気づかないかもしれない。しかし、やがて子供は「あげる」という言葉が、お餅を神棚にあげるとか、荷を舟から陸にあげるとかにも使われることが分かってくる。


「くださる」ということばは「くだす」と関係が深い。「くだす」とは、力あるもの、社会的な位置や、程度や価値の高いものを、力の弱い、価値の少ない、程度の悪いところへ、かまわず落下させることであり、上から下への力が強く、普通ではその力に抵抗できないことを指すと、子供はやがて分かるようになる。そして「おろす」は、意識的に、下につくまで注意を保って選ぶこと、従って「重荷をおろす」と使うこと。また「おとす」は、高い所にあるはずの物を、手放して、それが下についた結果、どうなろうと構わないときに使う言葉だということも、次第に区別できるようになる。


人に物を与え、渡すことを敬意をこめて言うには、日本語では、物を上にあげ、下にくださるという言葉を使う。それは日本人の社会の構造が、絶えず上下関係に深い注意を払う社会である結果である。子供はそれを、アゲル、クダサルという言葉とともに、知らず知らずのうちに理解する。子供は自分で言葉を作ることも、稀にあるが、それよりも、すでに出来ていて、大人によって受けつがれて来た言葉の体系を教えこまれ、それが使いこなせるように仕向けられる。


・このごろ若い人たち「非常に」というところを、何でも「すごく」という。私たちは子供のときに「とてもおもしろい」とか「とてもいやだ」とか言った。この「とても」という言葉も、古くは「とてもかくても」と使ったので、「どうしてもこうしても」の意味があって、「とても」といえば、「とてもだめだ」「とてもできない」と、必ず打ち消しの形で使うのが、普通だった。それが明治時代の終わりころから「とても美しい」とか「とてもおもしろい」と、普通の肯定の形にも広まって使われるようになり、言葉に細かい感覚を持つ人は、それをとがめたものだった。


しかし、もはやその「とても」という言葉すらも下火になって来て、このごろの若い人たちは「すごく」という言葉を使っている。「すごい」というのは、なにか心に切りつけるような、ある激しい、強力なものがあることの形容である。そこから、非常に、たいへんだという意味になる。「とても」から「すごく」の移り変わりは、古い言葉が捨てられて、新しい形が登場する例ともいえる。


日本語って素晴らしい。日本人って素晴らしいね。言葉の大切さが分かる古典的名著です。オススメです。(・∀・)