最近、読み続けている地理、地名関係の本。この本も実にオモシロイ!(・∀・)
「これまで不思議に思っていた地名の謎が解けたり、信じていたことが「都市伝説」に過ぎなかったことが分かります。雑学的な発想を排し、テーマを絞って地図や図表を多用して問題を掘り下げてみました。本書を通読すれば、地名を通じた日本列島史が見えてきます」そのエッセンスを紹介しよう。
【どうして「日本」が「JAPAN」になったのか?】
結論から言うとジャパンはニッポンが訛っただけです。中国では「日」は昔の漢音では「ジツ」、さらに現代中国語では、日本を「リーベン」と「ジーベン」の中間で発音しますが、こうした読み方を、マルコ・ポーロなどが「Cipangu(ジパング)」と書いてジャパンにつながった説。
また中国の南方の人が「ニッポン」に近い発音をしていたのをもとに、ポルトガル語のJapão(ハポン)やスペイン語のJapon(ハポン)になり、それがフランス語のジャポンや英語のジャパンにつながったという説です。いずれにしろ、ヒノモト→日本→ニッポン→ジャパンという流れであることは間違いありません。
「廃藩置県」とは、江戸時代に260年余りにわたってつづいた「藩」を廃止して「県」を置いたものと思っている人が多いですが、それはとんでもない誤解です。明治2(1869)年に、公式の名称として初めて「藩」が誕生したのです。そして明治4(1871)年に、藩をすべて県と改め、政府が任命した県令に統一させるようにしたのが廃藩置県です。つまり明治2年から府・県・藩の三種類の行政区域があったものを、府と県だけに整理したのが廃藩置県だったわけで、藩は260年余りでなく、わずか2年間しか存在しなかった制度です。したがって「長州は」とは「佐賀は」ということはあっても「長州藩は」とか「佐賀藩」とはほとんどいいませんでした。自領を「国」ということはあっても「藩」ということはなかったのです。当時は「脱藩」したときも「脱走」としかいいませんでした。
その他、「奈良時代の『好字二字令』とは?」「京都の本来の呼び名は『平安京』」「京都に難読地名が多いのはなぜ?」「三多摩はもともと四多摩だった」「『ひこにゃん』のモデルは江戸っ子?」「鹿島アントラーズは鹿島市にはない」「『さいたま市』は市名として相応しいのか?」「市町村合併後の「地名ベスト10」と「ワースト10」」など。
確かに!この本を読むと日本史がオモシロくなるよー。オススメです。(・∀・)