「てるてるソング」 小野塚テルの一日一冊一感動『感動の仕入れ!』日記

毎日の読書、映画、グルメ、流し、人との出会いなど様々なものから感動を得ています。特に本は年間300~400冊読破します。人々を『感』させ『動』に導き、『感する人』になるようにそのエッセンスを紹介しています。

「長嶋茂雄 最後の日。1974.10.14」(鷲田康)

この本を読みながら、泣いた。泣けた。あのシーンを思い出して泣いた…。日本中が泣いたよね。ミスタージャイアンツであり、ミスタープロ野球でもある長嶋茂雄・巨人軍終身名誉監督の引退のとき。今でもあのシーンは目に焼き付いている。



あの日はどんな一日だったのか。そして長嶋引退の背景とは?そのエッセンスを紹介しよう。


長嶋さんは、僕がこれまで見てきたどの監督とも違う監督だった。監督が何を気にしていたかというと、ファンなんですよ。選手よりもファン。ファンにどう喜んでもらうか。そのためにどういうチーム作って、どうやって勝つか。どういうタレントを集めるか。他の監督とは全然違うプロデューサーなんです長嶋茂雄っていうのは。それを理解しないと、長嶋監督っていうのは理解できないと思う」(松井秀喜



・「そう…あとの年はね、もうユニフォームを脱がなければならないという思いと、いや、まだまだ2,3年はできるという思いが毎日、毎日交錯した一年だった。どこかのプレーでとか、どこかの打席で、という直接のきっかけというのはなかった。4月、5月、6月とやってきて……違ったんです。自分のプレーが思っているものと…」長嶋は当時の自分をこう振り返った。


・「ことしも6月から7月にかけてバットのまっシンでタマを捕えていた。自分でも驚くほど絶好調だった。ジャストミートして一塁に走った。打球はしかし、ことごとく野手の正面を突いていた。バットの根っ子に当てても人のいないところへ飛んでいた打球がいま、野手の正面へ正面へ飛んで行く。『オレのボールも素直になってしまった。打球から執念が逃げてしまった』振り返ると、このとき私の心は決まったように思う」(深澤弘(ニッポン放送アナウンサー)


「なあ、深ちゃん…バットのスイングスピードだってオレは誰にも負けていないよな?振る量だって相変わらずオレが球界では一番だろ?だからオレは肉体の限界を感じて辞めるんじゃないんだ。でも、巨人軍というチームの中で川上さんが監督を辞めて、その後は長嶋だと球団も思っているし、世間のみなさんも思っている。ここでオレがもう1年、2年やらせろと言ったら…。ガキだよなあ…」


その他、「葛藤のラスト・シーズン」「後楽園に“名画”の舞台を」「ラストホームランと予告なき場内一周」「『永久に不滅です』というフレーズ」「戦後という一つの時代の終焉」など。


あの場内一周は予定外だったなんて以外だなあ。やっぱりミスターは偉大だ!!!(・∀・)超オススメです。