何かのテレビ番組で観て知ったのが、台湾で有名な日本人土木技師・八田與一。台湾に百年ダムを遺し、56年の生涯を閉じる。日本と台湾の懸け橋となった男の実像とは!?そのエッセンスを紹介しよう。
・八田與一。今日の日本人にはほとんどその名を知られていない人物だが、台湾では「恩人」として、とくに農業関係者の間では、「八田技師」の名で今でも敬愛されており、毎年、與一の命日五月八日には地元の人たちによって墓前祭がとりおこなわれている。そして96年は50回忌ということもあり、例年にも増して盛大な墓前祭が開かれた。
「中国大陸からの開拓民と先住島民とがばらばらに住む辺境社会だった台湾は、日本統治時代による近代化の洗礼を受け、初めて台湾人としての住民の一体感が生まれた」
「台湾に寄与した日本人を挙げるとすれば、おそらく日本人の多くの方はご存じないでしょうが、嘉南大圳(かなんたいしゅう)を大正9年から10年間かけて造り上げた八田與一技師が、いの一番に挙げられるべきでしょう。台湾南部の嘉義から台南まで広がる嘉南平野にすばらしいダムと大小さまざまな給水路を造り、15万ヘクタール近くの土地を肥沃にし、100万人ほどの農家の暮らしを豊かにした人です。今、その貯水池は珊瑚潭と呼ばれ。湖畔に八田夫婦の墓があります。八田技師のブロンズ像も置かれています」
なぜ、與一はこれほどまでに地元の農民に敬愛され親しまれているのだろうか。それも戦前の日本人が、である。
台湾は親日派なのはこのような先人たちのおかげなんだね。日本人の誇りだ。オススメです。(・∀・)!