「てるてるソング」 小野塚テルの一日一冊一感動『感動の仕入れ!』日記

毎日の読書、映画、グルメ、流し、人との出会いなど様々なものから感動を得ています。特に本は年間300~400冊読破します。人々を『感』させ『動』に導き、『感する人』になるようにそのエッセンスを紹介しています。

「G-FILE 長嶋茂雄と黒衣の参謀」(武田頼政)

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長嶋茂雄と黒衣の参謀 Gファイル

長嶋茂雄と黒衣の参謀 Gファイル

 

この本はスゴいっ!今年読んだ本の中でベスト10入り間違いなしだ!野球本の中でもナンバーワンだろう!!!(・∀・) あの長嶋監督の「メークミラクル」「メークドラマは、実は陰の立役者がいたのだっ!

 

長嶋監督の裏には、マスコミはおろかチーム内ですら限られた人間しか知らなかった、ある一人の参謀がいた―。「GCIA」なる情報機関を創設し、真の長嶋政権を実現しようとした男・河田弘道読売ジャイアンツという巨大組織の一大改革に挑んだ4年間の記録」そのエッセンスを紹介しよう。


・今から十年以上前、河田弘道東京読売巨人軍の内懐に足場をかため、まさに死闘を演じた。それは紛れもない事実なのだ。河田の手もとには、その四年間の記録がある。それはA5版で5千枚にもおよぶレポートの束で、シーズンごとに日を追ってファイルに綴じてある。河田はそれらのうち、長嶋に提出したものを「G-FILE」と称して大切に保管してきた。そこに記されているのは、曖昧な誇張や抽象的な英雄伝説ではなく、まして妄想にかられた虚言などでもない。人々の群れのなかに降臨した「長嶋茂雄」というひときわ輝く栄光と、彼に仕えた河田弘道という男の血みどろの闘いを記録した一遍の冒険譚、あるいは奇跡の物語だ。つまりこのGファイルは隠された史実にもとづく「福音書」なのである。94年の「メークミラクル」も、そして96年のメークドラマも、決して偶然の産物ではなかったのだ。


・河田のチームのなかでも肩書は「編成本部付アドバイザー兼監督補佐」である。しかし、当時の巨人軍関係者の中で河田の存在を知る者は、長嶋をはじめとする数人の球団幹部、読売新聞社社長(当時)の渡邉恒雄とその側近だけという、ほんの一握りしかいなかった


・96年から2年間、巨人軍代表をつとめた深谷尚徳(よしのり)は、当時の河田を知るひとりだ。「あのときの長嶋采配を支えていたのは、じつは河田君だったんです。以前、西武の堤義明オーナーの下にいたことがあったせいか、その情報収集力と分析力には凄まじいものがあった。シーズン中に長嶋監督に毎日提出されていた報告書を初めて読んだとき、私はその内容の緻密さに圧倒されましたよ。選手とコーチひとりひとりをよく分析していて、監督の采配そのものも評価の対象になっていた。しかも長嶋の陰にまわって決して表にでてこずに戦略戦術を考える知恵者だった。ああいうタイプの人間は巨人軍どころか日本の球界では初めてですよ」



・「世界の競技スポーツ界は、1984年のロス五輪で大きく変貌したのですが、日本はこの流れからすっかり取り残されています。個人競技スポーツもチームスポーツも、ひとりの指導者や管理者がすべてをやらなければならないような時代はもう過去のことです。米国では、マネージャー、弁護士、担当医、テクニカルコーチ、スポーツ心理学者、トレーナーなどがチームを組んでひとりのアスリートを一級の商品に仕上げていくんです。同じように大リーグ、NBANFLなどの球技でもプロのエキスパートをそろえて徹底した分業体制を敷いている。日本では考えられないことじゃありませんか」

・「負けるケンカは絶対しないというのは当時も今もわたくしの人生の鉄則です。『やる』と決めて飛び出すのは、勝算70%のファクトを得られたときです。80%だったらマッチベター、90%だったらエクセレントです。しかしそれが整うまでは何年でも堪え忍びます。それがわたくしの生き方です」

・河田は得られた情報をもとにいまのジャイアンツが抱える問題点を大きく3つに仕分けした。

まず第一に現場とフロントの意思疎通ができていない。その証拠に得点力が足らないのに、スラッガーがいない。戦力として本当に現場が欲しがっているはずの選手が獲得できていないため、戦列のバランスを欠いていた。これは現場のニーズを把握しないフロントが、名実とともに誰もが知る選手としか契約を交わしてこなかったからだ。そこには組織の資金力を背景にしたルーズな体質があった。地方に埋もれている無名のアマチュア選手を発掘し、経費を切り詰めながら実績をあげてきた西武ライオンズと比べてみればそれはお粗末としかいいようがなかった。

二つ目は、選手のメンテナンスの立ちおくれだ。ケガは未然に防ぐか出場させながら治すという米国のスポーツ医療の常識からすれば考えられないことだった。

三つ目は情報管理の不徹底だ。機密保持という感覚がないのか、フロント人事や幹部会での決定事項などが、開けっぱなしの蛇口のように漏れた。チームの首脳陣による選手をくさすような発言で紙面を騒がせたりもした。

河田はこれらから考えて、要するにジャイアンツには勝利へのコンセプトなどまったくないと断定した。伝統のあるチームなのに、しっかりしたシステムが確立していないということは全体をひとつに束ねる強いリーダーが存在していなかったことを意味する。つまり選手それぞれの能力は球界第一だが、勝利を奪い取る強い意志とと態勢がすっかりうしなわれていたのだ。だから「選手のメンテナンスを確立し、組織管理を強化すれば、このチームは必ず結果が出る」これが河田の得た結論だった。しかし大きな問題が残されていた。長嶋の夢の実現は長嶋茂雄をいかにしてコンセプトを持った絶対的なリーダーに変貌させるか」という、ただこの一事にかかっているといってもよかったのだ。長嶋をどう変えたらいいのかー。

大理石の柱を撫でたときのように冷ややかで起伏がなく、見上げて関心はするけれど、一緒にいたいとは思わない。石造りの巨大モニュメント、それが父親としての長嶋茂雄である

・(長嶋)「ぼくは、家族のことなんて考えたことはなかった。野球がすべてです。そうでなければぼくはこの世界でここまでやってこられませんでしたから」

 

(河田)「じゃあどうして監督は結婚なさったんですか。一茂はずっと父親を必要としていましたよ。お母さんじゃないんです。本当に欲しがっているのはお父さんだったんですよ。大変僭越ですけど、わたくしこの際申し上げさせてもらいます。監督「家族」というチームをまとめられない人が、読売巨人軍というチームを指揮官としてどうやってまとめていけますか。いつまで長嶋茂雄を演じつづけるおつもりなんですか。身体が動けなくなったらいったいどこにお帰りになるんですか。家庭しかないんじゃなんですか」

・長嶋は、川上のつくりあげた組織は、人間性を否定したうえになり立つ、いわば「恐怖と統制の総和」だったと断じ、長嶋巨人の組織編成は、それを真っ向から否定するものになった。長嶋が河田を引き入れた真意は、米国流の「自立と自由」を掲げた新たなる秩序を導入し、川上がつくりあげた以上の強大な戦闘集団をつくりあげることにある。その意を額面通り受け取った河田が示したことは、ジャイアンツの「創造的破壊」である。


東京読売巨人軍という組織に巣くった悪性細胞は、もはや自然緩解や自浄を期待できない。硬縮した組織は排除するほかなく、病変部が全身に及んでいるならば、自己壊滅しか手立てはない。けれどもそれは魂の死ではない。改革の意志を力強く温存し、再生のために一時的に肉体を失うだけである。まさにそれこそが巨人軍再生計画の第二段階「創造的破壊」なのである。


「最先端の医療手技PNFの効用」「野村克也との戦い」「巨人軍再建計画案」など。なぜこれだけの本が知られていなかったのだろう。ビジネス界でも使えるアイデアが満載!超オススメです!(・∀・)♪

 

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長嶋茂雄と黒衣の参謀 Gファイル

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