「てるてるソング」 小野塚テルの一日一冊一感動『感動の仕入れ!』日記

毎日の読書、映画、グルメ、流し、人との出会いなど様々なものから感動を得ています。特に本は年間300~400冊読破します。人々を『感』させ『動』に導き、『感する人』になるようにそのエッセンスを紹介しています。

「花酔ひ」(村山由佳)


女優恋愛小説の第一人者・村山由佳。今年は全作品を読もうと思っています。(・∀・)


「浅草の呉服屋の一人娘、結城麻子はアンティーク着物の仕入れで、京都の葬儀社の桐谷正隆と出会う。野心家の正隆がしだいに麻子との距離を縮めていく一方、 ほの暗い過去を抱える正隆の妻・千桜は、人生ではじめて見つけた「奴隷」に悦びを見出していく…。かつてなく猥雑で美しい官能世界が交差する傑作長篇」。そのエッセンスを紹介しよう。


・着物をきっかけに出会った二人の夫婦ー東京の呉服屋のひとり娘・結城麻子とその夫でサラリーマンの小野田誠司と京都の葬儀屋の娘・桐谷千桜と、その会社で営業として勤める婿養子の桐谷正隆の四人の心と体がもつれた糸のようにからみあう。お互いの夫婦の間では封されていた快楽の蓋が開き、四人は己の理性や意思で留めることなどできない、大きな波に巻き込まれ流されていくー極楽でもあり、地獄でもある世界へ


時代を経た着物にはきっと、何か特殊な力が備わっているのだと麻子は思う。もしかしたら年を経たものは皆そうなのかもしれない。長生きしすぎた猫が化けものになると信じられていたように、着物もまた、美しいまま古くなると、見たものの魂を食らうようになるのかもしれない。麻子はもはや、時代着物の世界にどっぷりと魅入られてしまっていた。


「それでは仏さんがお気の毒ですよ」「そうなさったら、仏さんもきっとお喜びになりますよ」どれほど想像力を駆使しても、会ったこともない死人の気持ちまで慮れるはずなどないのだが、情に脆く、人前で金に細かくなりきれない日本人にとって、その二つの言葉は、あらゆる場面に応用可能な、まさに魔法の言葉だった。


脱いだあとに何をするかが肝腎なんだよ、と祖母は言う。「明日の準備を、前の日になってするんじゃ遅いんだ。着物はね、脱いだ時にゃもう、次に着る時の準備が始まっているの。着ている最中ばかりじゃない、後始末への心配りこそが大事なのだ。ほんとは着物だけじゃなくて、何だってそうだけどね」


・どうしてなのだろう。どうして自分は憎しみと愛情が一緒くたになってしまうのだろう。愛した者を憎んでしまうのではない。憎んだものしか愛せないのだ


・これ以上は、いけない。流されてしまってはいけない。一度はそれなりの覚悟を決めて部屋までついてきたつもりでいたけれど、これは、これほどの波は、自分ごときにはとても手に負えない。一旦流されてもまた元の場所に戻れるような、そんな生やさしいものではない、うっかりするとすべてを失ってしまう。なけなしの意志を振りしぼるように桐谷を押しのけたものの、腕の中から逃れたとたんに激しく後悔した。すべてを失ってもいいから、ほんとうは流されてしまいたかった。心より先に、軀が反応していた。


「男の人って、ほんまにあほやなあ。ふつうの生活してたら、夫婦の間に起こることなんて、細かいこと以外に何があんの。小そうて細かいことを大事にせんと、いつ何を大事にすんのやろ」


・「人と人の縁、えにしってものは、一旦つながっちまったが最後、そう簡単に切れるもんじゃないの。だからこそ、自分から断ち切ろうと決めた時には、どこまでも貫き通すだけの意志が必要なんだよ。それはそれは強い、意志の力がね。生半可な覚悟じゃ、相手にもまわりにも迷惑ばっかりかかっちまう。」


果てにあるものは、死か、生き続けることか。死ぬことにより性愛が成就する物語は古来より多くあるが、想いを秘めたまま生き続けるほうが罪は重く、記憶は一生消えない。この者たちの辿りつく「果て」は生か死かー。


スゴイ小説だなあ…。著者の体験談なのかなあ。描写が実にリアルだ。小説を読みながら恋に落ちそう。オススメです。(・∀・)