「てるてるソング」 小野塚テルの一日一冊一感動『感動の仕入れ!』日記

毎日の読書、映画、グルメ、流し、人との出会いなど様々なものから感動を得ています。特に本は年間300~400冊読破します。人々を『感』させ『動』に導き、『感する人』になるようにそのエッセンスを紹介しています。

「「月給100円サラリーマン」の時代 戦前日本の〈普通〉の生活」(岩瀬彰)

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このブログでも時々紹介しているけど戦前の日本の暮らしって、なんか良いんだよねー!(・∀・)大正デモクラシーから昭和初期。父が昭和8年、母が13年だからまさに、親の青春時代だよねー!

 

物価・学歴・女性の立場――。豊富な資料と具体的なイメージを通して戦前日本の「普通の人」の生活感覚を明らかにする」そのエッセンスを紹介しよう。
 
 
・この本のテーマは「戦前日本の “ふつうの人” の生活感覚」である。戦後世代の日本人にとって、「戦前の日本」とは二度と行けない外国のようなもの一般人の生活イメージを把握できる情報は極度に乏しい。
 
実際、昭和ヒトケタから昭和30年代なかごとまでの日本人の基本的ライフスタイルはほぼ同じだったといってよい。つまり、戸建ての日本家屋に住み、主に和室で生活し、ふだんの生活は八百屋や魚屋といった個人商店ですませ、日常の足は公共交通機関に頼るという生活だ。
 
・戦後の日常生活だけをみれば、終戦で変わった部分より、マンションやマイカーの普及、スーパーマーケットの登場など高度成長期に起きた変化のほうがずっと大きかった。逆にいえば「戦前的なもの」は比較的最近まで日本人にの身近に残っていたといえるその最後の時代となる昭和30年代がやたらに懐かしがられるのもそのせいではないだろうか。
 
・昭和初期の約10年間の物価を現在と比較する場合およそ二千倍」という水準はいましばらく使える物差しだと思う。あくまでひとつの目安である。当時の家計には、車の維持費や携帯電話代など、いまの家計が考慮しなければならない支出の多くがそもそも存在せず、もっとシンプルだった。中等教育以上の教育を受けるのも限られた層で、教育負担もまったく違う。家も借家が多数派で、基本的に住宅ローンもない家電製品もラジオか電熱器くらいだから光熱費も安い。都市部を除けば薪や石炭で炊事し、風呂を炊いていた。そのぶん家事労働は大変で、主婦は一日中働いていた。一方で「女中さん」は月十円で雇えた。家事手伝いが食事と部屋付きで、いまの2万円相当で雇えてしまう社会だったのだ。
 
納税できることは「階級」だったじっさいには家族一人につき扶養控除も百円あったから、4人家族なら年収1500万円までは非課税だった
 
大正14年に銀座の街頭で行った有名な調査では、行き交う男性の67%が洋服で、和服は33%に過ぎなかったのに、女性では99%が和装だったという。昭和に入ってもこれが急に変化したわけではない、シーズンごとに着物は3、4枚は必要だった。山本夏彦祝儀不祝儀には和服でした。洋服はいくら着飾っても出るところには出られなかった」と言う。
 
「コメ消費はいまの三倍」「学歴の断層」「帝大は圧倒的エリート」「初任給と昇進・出世」「ホワイトカラーは退職金も巨額」「女性の生活と男よりさらに狭い教育機会」「モダンガールの敗北」「大売春王国」「貧富の格差」など。

 

なんか、いいね〜!この時代!わずか100年間で2000倍!!!やっぱり人間の暮らしってそんなに変わらないんだね。オススメです。(・∀・)

 

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