「てるてるソング」 小野塚テルの一日一冊一感動『感動の仕入れ!』日記

毎日の読書、映画、グルメ、流し、人との出会いなど様々なものから感動を得ています。特に本は年間300~400冊読破します。人々を『感』させ『動』に導き、『感する人』になるようにそのエッセンスを紹介しています。

「もうひとつの青春 同性愛者たち」(井田真木子)

テレビで、おなじみの、というか欠かせないオネエキャラ。今では市民権(?)を得られているようだけど、同性愛者というのはいったい、どのような人たちなのだろう?

今から20年前に出版されたこの本は、「変態」でも「性風俗業者」でもない普通の同性愛の青年達の青春群像を通して、エイズと日本の社会的認識を描いたノンフィクションなのだ。「非凡で多難な人生を選ばざるをえなかった、平凡な七人の同性愛者と、その多くの友人にこの本を捧げます」そのエッセンスを紹介しよう。


・私は同性愛とは何か、異性愛とは何か、性別とは何か、性的指向とは何か、同性愛者の彼と異性愛者の私を分かつものと、両者が共有できるものはいったい何かと、彼に問い続けていた。


性的指向は、後天的心理環境のみによって決まるものでもなく、ましては単なる趣味嗜好ではない。それは、生まれ落ちるときすでに後天的には不変な要素の多くを生物学的に組み込まれたものだ。要するに、同性愛者は「なる」ものではなく「ある」ものだ。同性愛を異常性欲として差別したり道徳的に非難したりするのはまったく根拠のないことなのだ。


同性愛とは悪い遊びではない。いかがわしい趣味でもない。それは、性という、人間のひとつの本質の状態を表す言葉である。これが同性愛者の主張だ


・思春期をむかえた同性愛者は、まず自身の資質が多くの友人、知人、また兄弟、両親と異なることを感じる。違和感は独特のものだ。個性や癖とも違う、何かヘンな状態、奇妙な違和感である。すなわち兄弟は、友人は、そして自分を生んだ両親は異性が好きなのに、自分一人は、異性を好まず、性的に同性にひかれるという違いである。その時点で同性愛という概念を知る人がわずかあり、知らない人が大半をしめる。


自分はセックスはしない。これが結論だ。理由も簡単である。女の子にまったく性的興味がわかないからだ。なにがあっても女性との性交は不可能だという確信があったそれを不幸とも奇妙とも感じなかった。それは彼にとって、ひとつの事実にすぎなかった。


世界中に同性愛者は自分一人しかいない、それが彼らの苦悩だった。彼らは、この広い世界の中で、自分だけが変り者なのだと信じた。その孤立と苦悩から逃げようとあがくこともあったが、だいたいの場合、絶望の深さに負けて、再び氷のような孤独と萎縮の中に逃げ込むのがならいだった。ふとなにかのおりに、自分が両親のような異性愛者ではなく、同性愛者のカップルから生まれたらどれほど幸せだったろうと考えることはあった。新美はそれほどまでに同性愛者を慕い、異性愛者を疎んじた


うーん、実に考えさせられる…同性愛者にとっては、我々は「異性愛者」で、異常に映るんだねえ…。いずれにせよ、共存できる世の中に近づいているようだね。オススメです。(・∀・)