「てるてるソング」 小野塚テルの一日一冊一感動『感動の仕入れ!』日記

毎日の読書、映画、グルメ、流し、人との出会いなど様々なものから感動を得ています。特に本は年間300~400冊読破します。人々を『感』させ『動』に導き、『感する人』になるようにそのエッセンスを紹介しています。

「男色の日本史 なぜ世界有数の同性愛文化が栄えたのか」(ゲイリー・P・リューブ)

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男色の日本史――なぜ世界有数の同性愛文化が栄えたのか

男色の日本史――なぜ世界有数の同性愛文化が栄えたのか

 

この本は衝撃的だなあー!表紙からしてスゴいよねー!(笑)

 

かつて日本では、すべての男性が、美少年との性的快楽に耽溺していた――華麗なる日本同性愛文化を、世界に知らしめた名著。図版多数収載!稚児、小姓、若衆、女形、陰間……“美少年"たちがくり広げた華麗なる日本男色文化――なぜ日本には、古代ギリシャと並ぶ世界有数の同性愛文化が栄えたのか?」初めて日本男色文化を“通史"としてまとめた「男色の日本史」日本の華麗なる男色文化とは?そのエッセンスを紹介しよう。

 
・18世紀中頃の江戸には、男色茶屋が並ぶ町が少なくとも14あり、その時代の男性同性愛に関係する文献は600近くあることがわかった。さらに15人の徳川将軍のうち、少なくとも7人は男性同性愛の関係があり、それが詳しく記述されていることもわかった。「同性愛」の根底にあるのは、必ずしも一つではない性的欲望の形である一部の社会では、オーラルセックスやアナルセックスのような特別な行為をしたいというい望みや、特別な年齢や民族、体つきの相手とセックスしたいという男性の望みは、相手の性別と同じくらい重要かもしれない。
 
男色を日本に持ち込んだのは806年に唐から戻った真言宗創始者である日本宗教上の偉人、空海弘法大師にほかならない。ある偽造文書には、この問題についての空海の「秘伝」とされるものが含まれている。816年に設立された空海高野山で、日本最初の男性間性行動が行われたという伝承がある。
 

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▲ 江戸の茶屋、関東屋の外の街灯。雇われている男娼の名前が並んでいる
 
・つまり近代初期前夜の日本には、二つの男性同性愛があり、それらは(1)主として女性がいなかったため出現し、(2)年齢差をもとに構築され。若いパートナーの教育や成熟に役立つと見なされ、(3)若いパートナーに、女性的あるいは中性的な装いを身につけさせることが多かったこのような習慣は、尊敬されるエリートによって行われ、中国の習慣による効果や空海の神話によって正当化されていた。徳川幕府の確立と、それに伴う大きな町は都市の発展によって、三番目の、町人層の男色が出現した。徳川時代の町人層の男性は寺院と武士の習慣を知っていたため、男性同性愛の欲求を自然なことだと考え、男性間のセックスを、許容できる魅力的な行為だと考えるようになったのである。
 
その他、「全盛期を迎えた日本男色文化」「男色の技術と風俗」「挿入する側と挿入される側の関係」「男色は日本社会にいかに受容されていたか」「日本のジェンダー構造と男色」「日本男色の3つの特徴」「男性間のフェラチオ」「明治以後の日本社会と男色」など。

 

まさに「陰の」日本史だね。表もウラも知らなきゃ、だね。オススメです!♪

 

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男色の日本史――なぜ世界有数の同性愛文化が栄えたのか

男色の日本史――なぜ世界有数の同性愛文化が栄えたのか