この本は衝撃的だなあー!表紙からしてスゴいよねー!(笑)
「かつて日本では、すべての男性が、美少年との性的快楽に耽溺していた――華麗なる日本同性愛文化を、世界に知らしめた名著。図版多数収載!稚児、小姓、若衆、女形、陰間……“美少年"たちがくり広げた華麗なる日本男色文化――なぜ日本には、古代ギリシャと並ぶ世界有数の同性愛文化が栄えたのか?」初めて日本男色文化を“通史"としてまとめた「男色の日本史」。日本の華麗なる男色文化とは?そのエッセンスを紹介しよう。
・18世紀中頃の江戸には、 男色茶屋が並ぶ町が少なくとも14あり、 その時代の男性同性愛に関係する文献は600近くあることがわか った。さらに15人の徳川将軍のうち、 少なくとも7人は男性同性愛の関係があり、 それが詳しく記述されていることもわかった。「同性愛」 の根底にあるのは、必ずしも一つではない性的欲望の形である。 一部の社会では、 オーラルセックスやアナルセックスのような特別な行為をしたいと いうい望みや、特別な年齢や民族、 体つきの相手とセックスしたいという男性の望みは、 相手の性別と同じくらい重要かもしれない。
・男色を日本に持ち込んだのは、 806年に唐から戻った真言宗の創始者である日本宗教上の偉人、 空海(弘法大師)にほかならない。ある偽造文書には、 この問題についての空海の「秘伝」とされるものが含まれている。 816年に設立された空海の高野山で、 日本最初の男性間性行動が行われたという伝承がある。
▲ 江戸の茶屋、関東屋の外の街灯。雇われている男娼の名前が並んでいる
・つまり近代初期前夜の日本には、二つの男性同性愛があり、 それらは(1)主として女性がいなかったため出現し、(2) 年齢差をもとに構築され。 若いパートナーの教育や成熟に役立つと見なされ、(3) 若いパートナーに、 女性的あるいは中性的な装いを身につけさせることが多かった。 このような習慣は、尊敬されるエリートによって行われ、 中国の習慣による効果や空海の神話によって正当化されていた。 徳川幕府の確立と、それに伴う大きな町は都市の発展によって、 三番目の、町人層の男色が出現した。 徳川時代の町人層の男性は寺院と武士の習慣を知っていたため、 男性同性愛の欲求を自然なことだと考え、男性間のセックスを、 許容できる魅力的な行為だと考えるようになったのである。
その他、「全盛期を迎えた日本男色文化」「男色の技術と風俗」「 挿入する側と挿入される側の関係」「 男色は日本社会にいかに受容されていたか」「 日本のジェンダー構造と男色」「日本男色の3つの特徴」「男性間のフェラチオ」「 明治以後の日本社会と男色」など。
まさに「陰の」日本史だね。表もウラも知らなきゃ、だね。オススメです!♪