マツコ・デラックスをはじめ、テレビでは、ゲイ、オネエ、ニューハーフ、ホモ、オカマなど性別不明なタレントが大活躍で、見ない日はないよね。
実は、日本文化における男色という道、それは“王道”だったのだ!万葉集から現代文学まで、また仏画、山水画、琳派、浮世絵などの絵画作品から男色的光景を縦横無尽に引用。そのエッセンスを紹介しよう。
・大杉栄はの男色は随分と乱暴だが、生徒間の同性愛関係は、そのころの学校ではごくふつうにあった。川端康成は茨城中学の寄宿舎で清野少年と情事にふけった。大正五年十二月十四日の日記をのぞくと、こんな風に書かれている。「床に入って、清野の温い腕を鶏、胸を抱き、うなじを擁する。清野も夢現のやうに私の頸を強く抱いて自分の顔の上にのせる。私の頬が彼の頬に重みをかけたり、私の乾いた脣が彼の額やまぶたにおちてゐる」(「少年」『川端康成全集第十巻』昭和55年新潮社)
・今東光も谷崎潤一郎に告白している。「中学時代は盛んにやりました。同級生だけで3人、下級生は美少年の限り手当たり次第でした」「仕舞いにはドスを懐に忍ばせて、下級生の稚児争いを上級生の奴らとやりまして、大騒ぎになったこともあります」(『十二階崩壊』昭和53年中央公論社)
・谷崎も一高時代に意外な話を聞いている。「それも当人からだ」。今東光は「どなた様で」と問い、谷崎はこう答えたという、「武林夢想庵と和辻哲郎が男色の仲だったんだ」
・伊良部隆輝の「同性愛への一考察」(『犯罪科学』昭和7年1月号)に
〈同性愛と切りはなすことの出来ないのは師弟愛でる。濃やかなる師弟愛のあるところには必ず同性愛がある。同性愛のあるところにのみほんたうの師弟愛は存在する〉と。
・学者でもあり歌人でもあった折口信夫は、あるとき弟子の加藤守雄に同じようなことを語っている。〈同性愛を変態だと世間では言うけれど、そんなことはない。男女の間よりも純粋だと思う。変態だと考えるのは、常識論にすぎない。師弟というものは、そこまでゆかないと、完全ではないのだ〉
・中学であれ、高等学校であれ、大学であれ、男ばかりが集まる学校には、友情を契機とする男同士の愛を育む土壌があった。友情と男色的な愛は、きわめて密接なつながりを有している。
・エッチは「破廉恥」の「H」であるとか、助平の「助」をhelpに英訳して「H」が生まれたとする説、「変態」のローマ字書きの頭文字という説もあるらしい。
特に、三島由紀夫のハラキリ同性愛小説「愛の処刑」、川端康成と三島由紀夫の往復書簡にはびっくりしたなあ、もう!
私はその趣味はまったくないし、そうしたい気持もわからない…。しかし、この歴史は知っておく必要があるねえ。オススメです。(・∀・)