「てるてるソング」 小野塚テルの一日一冊一感動『感動の仕入れ!』日記

毎日の読書、映画、グルメ、流し、人との出会いなど様々なものから感動を得ています。特に本は年間300~400冊読破します。人々を『感』させ『動』に導き、『感する人』になるようにそのエッセンスを紹介しています。

「男色の景色ーいはねばこそあれー」(丹尾安典)

マツコ・デラックスをはじめ、テレビでは、ゲイ、オネエ、ニューハーフ、ホモ、オカマなど性別不明なタレントが大活躍で、見ない日はないよね。

実は、日本文化における男色という道、それは“王道”だったのだ!万葉集から現代文学まで、また仏画山水画琳派、浮世絵などの絵画作品から男色的光景を縦横無尽に引用。そのエッセンスを紹介しよう。


大杉栄はの男色は随分と乱暴だが、生徒間の同性愛関係は、そのころの学校ではごくふつうにあった川端康成は茨城中学の寄宿舎で清野少年と情事にふけった。大正五年十二月十四日の日記をのぞくと、こんな風に書かれている。「床に入って、清野の温い腕を鶏、胸を抱き、うなじを擁する。清野も夢現のやうに私の頸を強く抱いて自分の顔の上にのせる。私の頬が彼の頬に重みをかけたり、私の乾いた脣が彼の額やまぶたにおちてゐる」(「少年」『川端康成全集第十巻』昭和55年新潮社)


今東光谷崎潤一郎に告白している。「中学時代は盛んにやりました。同級生だけで3人、下級生は美少年の限り手当たり次第でした」「仕舞いにはドスを懐に忍ばせて、下級生の稚児争いを上級生の奴らとやりまして、大騒ぎになったこともあります」(『十二階崩壊』昭和53年中央公論社


・谷崎も一高時代に意外な話を聞いている。「それも当人からだ」。今東光は「どなた様で」と問い、谷崎はこう答えたという、「武林夢想庵と和辻哲郎が男色の仲だったんだ」


・伊良部隆輝の「同性愛への一考察」(『犯罪科学』昭和7年1月号)に

〈同性愛と切りはなすことの出来ないのは師弟愛でる。濃やかなる師弟愛のあるところには必ず同性愛がある。同性愛のあるところにのみほんたうの師弟愛は存在する〉と。

・学者でもあり歌人でもあった折口信夫は、あるとき弟子の加藤守雄に同じようなことを語っている。〈同性愛を変態だと世間では言うけれど、そんなことはない。男女の間よりも純粋だと思う。変態だと考えるのは、常識論にすぎない。師弟というものは、そこまでゆかないと、完全ではないのだ〉


中学であれ、高等学校であれ、大学であれ、男ばかりが集まる学校には、友情を契機とする男同士の愛を育む土壌があった。友情と男色的な愛は、きわめて密接なつながりを有している。


エッチは「破廉恥」の「H」であるとか、助平の「助」をhelpに英訳して「H」が生まれたとする説、「変態」のローマ字書きの頭文字という説もあるらしい。


特に、三島由紀夫のハラキリ同性愛小説「愛の処刑」川端康成三島由紀夫の往復書簡にはびっくりしたなあ、もう!

私はその趣味はまったくないし、そうしたい気持もわからない…。しかし、この歴史は知っておく必要があるねえ。オススメです。(・∀・)