「てるてるソング」 小野塚テルの一日一冊一感動『感動の仕入れ!』日記

毎日の読書、映画、グルメ、流し、人との出会いなど様々なものから感動を得ています。特に本は年間300~400冊読破します。人々を『感』させ『動』に導き、『感する人』になるようにそのエッセンスを紹介しています。

「ファミリーレストラン 「外食」の近現代史」(今柊二)

昭和50年代に初めてファミリーレストランに行ったことをハッキリと覚えている。緊張が走った…。洋風の建物、ナイフとフォーク、コーヒーなど、異次元の空間であった。…我が家は家族全員で行ったことはまったくなかったが…。(^_^;)

さて、今は当たり前となっているファミレスの歴史とは?そのエッセンスを紹介しよう。


明治以降、日本が近代国家としての歩みを始めると同時に外食が著しく発達していった。明治以降、「四民平等」のスローガンに包括されているように、人々は、それまで住んでいる土地にとどまることが求められなくなったのである。そして交通の発達である。人々が長距離を移動する場合には、「食」は重要である。人々が気楽に利用したのが、むしろ駅などで買うことのできる弁当、いわゆる駅弁であった。駅弁の元祖は1883(明治16)年に上野駅構内で発売された「ふぢのや」の弁当であったという。田舎に住んでいた人々にとって「お金を出して食事を買う」ことに触れた衝撃はさぞかし大きかったと想像するに難くない。


・チェーン系食堂の祖であり、大衆食堂の祖である須田町食堂。「ウマイ、ヤスイ、ハヤイ」をモットーのこの店の中心は洋食であり、洋食を安い値段で提供し普及させたそうだ。人々は「外食も観光」であることに気づき始めた。そして、地方から「観光」して「非日常な食事」ができる場所ができ始めていた。それがまさにデパートであり、デパートの食堂こそがファミリーレストランの前駆的存在であった


・日本で最初にドリンクバーが設置されたのは、1992年、ガストによってだとされている。それまでコーヒーはお代わりができたため、ファミリーレストランは「食べる場所」から「いる場所」と変化した。ドリンクバーの設置によって、コーヒーだけでなく、冷たい飲み物、特に清涼飲料水が何杯で飲むことができるように変化した。ドリンクバーの導入によって、結果としてファミリーレストランの持つ料理の感動力が低下してしまったのではないかというのが私の仮説である。


その他、ロイヤルホストの誕生」「すかいらーく、名称としての「ファミリーレストラン」を生み出す」など。これは目からウロコが落ちるねえ。オススメです。(・∀・)